ヒース、針エニシダ、夏目漱石

レビュー

7
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呪われた腕

『呪われた腕』

著者
トマス・ハーディ [著]/河野 一郎 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784102108062
発売日
2016/04/28
価格
724円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

ヒース、針エニシダ、夏目漱石

[レビュアー] 中島京子(作家)

 語り口が平明で、さあ、お話が始まるぞ、という感じがして、読み進めば起伏もあり、意外なこともあって、結末にたどり着く。どこか子どものころの読書と似ていて、安心して物語に身を任せる愉楽を久しぶりに味わった。

 もしかしたら懐かしさを感じるのは語り口ではなくて、ヒースと針エニシダのせいかもしれない。すぐに思い当たるのは『嵐が丘』だが、イギリスの児童文学などにも、しょっちゅうこれらは出てきた。二つの植物の名前を聞いたとたんに、脳裏に荒涼とした英国の田舎の風景が浮かぶ。じっさいは、目の前に持って来られても、名前をいい当てられない気がするのだが。

 本書に収められた8編の短編は、強いて名前をつけるなら「間違った結婚たち」と呼びたいような作品群だ。表題作の『呪われた腕』は、息子のいる乳しぼりの農婦が主人公だ。かつて関係した男(息子の父親)が若い新しい妻をめとるが、嫉妬ゆえかその若い妻が農婦の夢に出てくるので、腕を掴んで投げ飛ばしてしまう。夢の中の出来事だったはずなのに、若い妻の左腕には人の指の形の痣がつき、腕だけがどんどん生気を奪われ萎えていく――。ちょっと、六条の御息所を思わせるような結婚ホラーだが、話はその後、意外な展開をみせる。最初の一編『妻ゆえに』は、若いとき、ほんのいっとき親友に勝ちたい一心で、彼女の恋人を奪って結婚した女のその後。よく似たタイトル(似ているのは邦題のみ)の『わが子ゆえに』は、わが子の虚栄心ゆえに再婚を阻まれる未亡人の話、『良心ゆえに』は、結婚の約束をしておいて不履行のままに年を重ねた独身男が、女手一つでその男との娘を育て上げた元恋人に、倫理観から求婚した挙句、彼らの人生が思わぬほうへと転がっていく話。総じて、話はいい方には転がらず、運命の皮肉を呪うしかないような結末へもっていかれはするのだが。

 最後の一編『アリシアの日記』も、結婚の約束をした男、心変わり、二人の女、道義的責任と愛の二律背反といったことがテーマになる。読んでいて、もう一つ、懐かしいと感じる理由に思い当たった。夏目漱石の小説に似ているのだ。漱石はいくつもの「間違った結婚」小説を書いた。漱石とハーディにどのような影響関係があるのかは、私にはよくわからないけれども、その類似は興味深かった。ハーディが古くから日本の読者に愛された理由も、国民的作家の作品に通じるテーマ性にもあったのかもしれない。

 このシリーズならではの魅力「解説セッション」で村上春樹・柴田元幸両氏が言及しているが、どちらかというと暗い物語のディテールに顔を出す、ちょっと渋い感じのユーモアが、なんとも味のある短編集だった。

新潮社 波
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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