「格差社会」と歴史家の視点【自著を語る】

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格差と序列の日本史

『格差と序列の日本史』

著者
山本, 博文, 1957-2020
出版社
新潮社
ISBN
9784106106705
価格
858円(税込)

書籍情報:openBD

「格差社会」と歴史家の視点【自著を語る】

[レビュアー] 山本博文(東京大学史料編纂所教授)

 歴史家は、格差や序列を常に意識している。研究対象とする時代に特有の政治や社会の構造が、格差や序列にこそ如実にあらわれるからだ。また、古代から近世までは、どの時代でもすべての人間が序列化され、様々な格差も生まれつづけた。

 日本の歴史を概観すると、今ほど平等な社会が実現している時代はない。それだけに、歴史研究を日常とする私は、現代日本をことさらに「格差社会」とする昨今の議論に違和感を覚えることがある。しかし、多くの論者が「格差」に注目している現状も、故のないことではないはずだ。

 そこで、そもそも日本史の上で、格差はどこに生じたのか、格差の母体となる序列はいかに形成されたのか、まずこれを跡付けてみようと考えた。

 たとえば、飛鳥時代の冠位十二階による大王(おおきみ)の官人の序列付け、奈良時代に入る直前に始まった律令制度による官職と位階など、古代王朝の序列制度は時とともに細分化し、官人たちを上下二層に大きく分かつ格差なども生まれている。

 しかし、栄華を誇った都の貴族社会は、地方で台頭してきた武士たちによって次第に奪権され、歴史は中世に入っていく。ただし、武士は純粋に地方から生まれたものではない。むしろ、中央の貴族社会の中で、その末端にいた者たちが地方に活路を見出だすことで形成された面が大きい。

 そして、平氏政権を経て鎌倉幕府によって本格的な武家政権の時代が始まるが、そこでは新たな序列や格差が生まれ、またこれも時とともに成熟し、江戸時代に一つの完成を見ることになる。

 このように、格差や序列は形を変えながらも存在しつづけるのだが、明治維新によって日本が近代を迎えると、「四民平等」などによって、制度的な格差は急速に解消される方向へ進む。

 華族制度や財閥の経済支配などによって、依然として上流階層と庶民の間にある格差は大きかったが、これも第二次世界大戦後にはGHQの占領方針もあって、華族制度は廃止され、財閥は解体され、また農村では農地解放が行われた。つまり日本では、敗戦という非常事態の中で、かなりフラットな社会が形成されたのだ。

 加えて、高度経済成長によって「一億総中流社会」が到来したとされる。七〇年代にこの言葉が人口に膾炙(かいしゃ)したのも、多くの日本人が言葉のイメージ通りの社会を実感していたからだろう。

 そして、現在の議論の根底には、この「一億総中流社会」が崩れかけているという危機感がある。特に終身雇用制度が揺らぎ、非正規雇用の急拡大が大きな社会問題となり、これを「格差社会」のあらわれとする捉え方が一般にも共有されたのだ。

 このように、「格差」と「序列」が本来どのような性格のものであるのかを、日本史の流れを辿りながら捉え直してこそ、現代的な問題もあらためて理解できるのではないか、というのが私の目論見である。

新潮社 波
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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