猪木武徳×宇野重規・対談 自由と不自由のあいだ 『自由の思想史』刊行記念

対談・鼎談

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自由の思想史

『自由の思想史』

著者
猪木 武徳 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784106037856
発売日
2016/05/27
価格
1,404円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

猪木武徳『自由の思想史』刊行記念 猪木武徳×宇野重規/自由と不自由のあいだ

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猪木武徳さん

宇野 「自由」はこれまでもさんざん議論されてきたテーマですが、猪木先生のご著書は教科書的な思想史の本と違って、哲学や思想だけでなく、旅行や映画、文学などの話がたくさん出てきて、とても面白く読めました。

猪木 ありがとうございます。

宇野 この本には三つの性格がありますね。まずはタイトル通り「自由論」という性格。もう一つは、リベラルアーツの意義を問い直す「教養論」。そして三つ目に、「知的自伝」としての性格。猪木先生の学問がどのように形成されてきたのかを垣間見ることができ、とても興味深かったです。

猪木 研究者の自伝なんて大抵面白くないので(笑)、自伝を書く気はまったくなかったのですが、これまで自分がどんな場所を訪れ、どんな本や映画に影響を受けてきたのかは、ちょっと書いておきたいという気持ちがありました。

宇野 印象的なのは、最初に登場するのがイギリス人の作家、オーウェルだったこと。自由論の教科書なら、コンスタンがルソーを批判した「古代人の自由、近代人の自由」から入り、バーリンの「消極的自由、積極的自由」へ行くのが定石でしょうし、経済学者の猪木先生であれば、アダム・スミスなどの経済思想から入る手もあったと思います。

猪木 私はオーウェルが好きなんです。『1984』『動物農場』より、むしろ短編が素晴らしい。彼は意識の領域が拡大していくことを自由だと捉えていました。

宇野 そうですね。オーウェルは『1984』のイメージが強いので「管理社会批判の作家」と捉えられがちですが、本当はもっと複雑で面白い。

猪木 ジャーナリストとしても、思い込みの机上の空論ではなく、常に言行が一致している。観念論的な自由ではなく、まさに生きた思想として自由を語っている。とても魅力的な人間です。

宇野 パブリックスクールを出たエリートなのに、ビルマで植民地管理の小役人をしたり、フランスのホテルで皿洗いをしたり、スペイン内戦で社会主義者と共に戦ったり、常に帝国主義の負の側面と向き合ってきながら、なお祖国に対するアンビバレントな感情を語る……猪木先生はオーウェルのような、矛盾を抱えた、本書に出てくる言葉を使えば楕円構造的な思考を持つ人がお好きですよね。

猪木 矛盾を抱えていない人間は正直ではない。影のない人間も面白くない。だからユートピア思想などにはあまり魅力を感じません(笑)。

二元論では分からない

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宇野重規さん

宇野 本の中でも、コンドルセのようなフランスの進歩主義者を、かなり否定的に書かれていましたね。

猪木 経済学説史で、マルサスがコンドルセを痛烈に批判していたのが印象に残っていたもので……人間の善性を単純に信じ込むユートピア思想は危険だと。そもそも善と悪は単純な二元論ではなく、ミルトンが言うように「喰いついて離れぬ双生児」と考えた方がいいと思います。ルソーのような積極的自由に拘ると、最後は「自由であることを強制する」という自己矛盾と倒錯に陥ってしまいます。

宇野 でもフランス人って、やっぱりなかなか面白いと思うんです。カトリックは、プロテスタントと比べると、人間悪に対してかなり大らか。欲望や嫉妬に駆られる人間は愚かで罪深い存在だけど、でも一方でそういう人間って面白いよね、神様もきっと見捨てないはずだ、という楽観的な感覚があります。

猪木 たしかにカトリックの神父さんは、割と呑気な人が多い(笑)。

宇野 信仰と自由の関係を論じる章では、スタンダールの『赤と黒』を傑作だと評していましたね。

猪木 文学で言えば、自由をめぐる新しい人間像を描き出したのは、やはりフランス人だったような気がします。宇野先生は、コンスタンの恋愛小説『アドルフ』とかはお好きですか?

宇野 大好きです。コンスタンのルソー批判は非常に真っ当なんですけど、彼の本当の面白さはむしろ『アドルフ』にあると思います。この主人公は本当にひどい男で(笑)、相手の女性を振り向かせるまでは燃え上がるけど、いざ相手が自分を好きになると逃げ出したくなる。そして、浮気や不倫に走る。恋愛は成就した途端に拘束に変わる。制約がないと恋愛は楽しめない。まさに猪木先生の自由論の核心部分と重なりますね。

猪木 「自由は不自由の際に生ず」――自由という概念は、法などの制約があるからこそ意味を持つことができるんです。

宇野 制度や秩序などの「枠」の中で、はじめて人間は自由を享受できる。でも、アナーキストの人たちはこれを嫌う。「俺たちが求めているのは、無制約の自由なんだ」って。たしかに惹かれるところもありますが、若気の至り的な自由観でしょう。

猪木 それでは自由は守れないし、必ず侵されてしまう。善と悪、自由と不自由といった二元論は、たしかに分かりやすく魅力的ですが、二つの概念の立体的な構造を考えないと、一種の思考停止を招いてしまうようなところがあります。

宇野 その点に関連づけて言えば、面白いことにフランスの神父には自然科学者や数学者が目立つ。アメリカでは、進化論に代表される自然科学と、キリスト教信仰は二項対立的に捉えられますが、フランスではノーベル賞を取った神父も何人かいます。神の作った秩序には一定の合理性があるはず。ならば、限られた知しか持たない人間でも、その合理性の一部を解明することができるだろうと考える。必ずしも科学と宗教は対立しないのです。

猪木 本の後書きにも書きましたが、私は友人に誘われてユダヤ教の「過越し祭」の典礼に参加したことがあります。数理的、合理的な思考を徹底するユダヤ人が、このような「非合理」な典礼に何時間も没入できるということはどういうことなのか不思議に思いました。

宇野 合理主義を徹底すると同時に、合理性を超越した世界に信を置く。この二つを焦点として、思考に楕円的な構造を持たせることにより、人間は文明を発達させてきた。合理主義だけでも、逆に非合理なものだけでも、人間の精神は失速してしまう。このことは本書の非常に大きなテーマの一つになっていますね。

リベラルアーツの意義

猪木 二点目に挙げられた「教養論」としては、どうお読み下さいましたか?

宇野 大学改革における人文社会系学部の縮小・廃止の流れに抗する身からすると、この本は理論武装の材料に満ち溢れていて、とてもありがたかったです。

猪木 一番の自由の砦であるべき大学が、いま本来の存在意義を見失いつつあることを、私はとても憂慮しています。

 もちろん、人文社会系を軽視する傾向は今に始まったことではなく、イギリスやアメリカでも、十九世紀後半あたりから続いている流れです。それでもイギリスやアメリカでは、エンジニアリングやバイオロジーで稼いだ研究収入を人文系に還流させたり、あのオックスフォードもビジネススクールを設けたり、何とか人文学を守っていこうとする気概がある。ところが日本では、文科省自身が旗を振って人文系を潰そうとする。ともすれば堰を切ったように全体が一方向に流れてしまいかねない危機感を覚えます。

宇野 ハーバード大学などで学生の読書状況を調査すると、1位がプラトンの『国家』で、マキアヴェリやホッブスなどが続き、トップ10のほとんどを人文書の古典が占めます。彼らはビジネスやコンピューターサイエンス、あるいは最先端の遺伝生物学をやっていたりするのですが、根っこにあるのは古典的な教養なのです。根っこが弱いまま、マーケット上の流行り廃りを追いかけても、大学が民間企業に勝てるわけがないし、比較優位を失ってしまうだけ。それは大学の自殺行為でしょう。

猪木 おっしゃる通りです。

宇野 本書の言葉を借りれば、「実利と無縁なものの中で自己を表現する自由」を大学は守らなければならない。

猪木 本来、社会が経済的、精神的に成熟してくると権威主義は弱まってくるものです。どの大学が一番いいとか、どの新聞が一番いいとかいう表層的な価値観が後退し、個々人の鑑識眼、判断力がものを言うようになる。それが成熟であり、福沢諭吉の言う「独立自尊」です。ところが日本では官庁や大学、ジャーナリズムにいる人でも権威主義が強い。未だに外国からの評価を第一の基準にする。周りを窺い、何を言えば喜ばれるかを忖度しながら発言する。もう少し自由な自己本位の精神を持つ方が良い。特に大学には、そういう自由の風土が残っていなければならないと思います。

宇野 本書では、福沢諭吉の存在感も大きいですね。福沢は日本の「権力の偏重」を批判しました。ヨーロッパの場合は、宗教と政治が常に対立することによって、複数の価値観や考え方が競合し、共存していく。ところが、日本では政治も経済も文化も、権力の下にある一つの土俵に上がってしまう。そうなると、いかにその中で多数派になるか、いかに権力に近い場所を確保するかしか考えなくなる。大学までそのような価値基準しか持てなくなると、もう逃げ場所がない。

猪木 今は政治家も官僚も、産業界の「役に立つ人材、即戦力を育成せよ」という要請に応えようとし過ぎだと思います。すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる。もちろん実利志向の研究は必要ですが、それは民間企業や政府系の研究所でやればいい。やはり大学は、知ること自体を目的とする、何の役に立つか分からない研究を自由にできる場所でなければならない。そういう「ポケット」を持っていない社会は、非常に弱いものになると、私は直感しています。

宇野 今の日本はものさしが単純化し、「長いものに巻かれろ」とばかりに社会が一つの方向に向かってしまう危険がある。それを防ぐためにも、リベラルアーツ、人文社会系の学問の擁護が必要だという猪木先生の問題意識がひしひしと伝わってくる本でした。

猪木 ていねいに読んでくださって、著者冥利に尽きます。ありがとうございます。

※この対談の増補版を「Webでも考える人」にて公開中です。

新潮社 波
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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