『クロコダイル路地1』
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自由と平等を謳ったフランス革命、その暗黒面に生きる5人の運命
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
『クロコダイル路地』はフランス革命によって少年少女の時代を損なわれた人々の物語だ。ナントの豪商テンプル家に生まれた「私」ことロレンスの回想が主軸になっている。一七八八年、ロレンスが十三歳のころに体験したささやかだけれど輝かしい冒険から始まり、一八一〇年のロンドンである殺人事件が起こるまでの出来事が語られていく。
まずロレンスの造形に引き込まれた。彼はイギリス人の祖父にはロレンス、フランス人の母にはローランと呼ばれている。祖父と父は平民で、母の実家は貴族。ふたつの国、ふたつの身分に挟まれてどちらにもなりきれず、空虚を抱えている少年なのだ。退屈をもてあまし、自傷行為にふけっていた彼は、テンプル商会専用の船着場でタイトルの由来にもなっている鰐に遭遇する。
〈私の視野を、鰐の口腔が占めた。底知れぬ空洞であった。虚無。言葉は知っていても、その意味に到達したことのなかった私は、瞬時に、それを感じ、それを識(し)った。忘我。気づいたとき、私は鰐の中にいた。鰐と同化していた〉というくだりが鮮烈だ。自らを飲み込んだ異様な生き物のイメージは、ことあるごとにロレンスの意識に浮上する。例えば、暴動に巻き込まれて命からがら家に逃げ帰った直後、夕闇の庭が鰐に見えるのだ。既存のシステムが破壊された世界を目の当たりにしながら、ロレンスは鰐とは何かという自問自答を繰り返す。
一方、ロレンスが鰐と出会った場所に偶然居合わせた貧しい籠作りの息子ジャン=マリは、暴動の日に姿を消した妹のコレットを捜す。ロレンスのいとこで伯爵家の嫡男であるフランソワは、従者のピエールと共に反革命軍に参加する。立場の異なる五人の運命が複雑に絡まり合う。
身分制度が廃止されても貧富の差はなくならず、人民の代表が人民を虐殺する。本書は自由と平等を謳う革命の暗黒面を克明に描きだす。その暗黒面に影響を受けたのがコレットだ。愛らしい顔立ちの女の子が小犬を踏みつけるシーンは恐ろしい。けれども、彼女は鰐に食われないために鰐になった子供なのだ。大切なものを失い、渡英したロレンスも、鰐になることを選ぶ。ふたりが最後に成し遂げる復讐は悲痛だが、序盤に出てきた〈生きるというのは、過ぎていく場所に、少しずつ自分を残すこと〉〈同様に、少しずつ、自分の中に他人が残っていくこと〉という言葉を思い出す。読み終わった自分の中にも彼らが残っている。