「敵を知る」手段は放棄されていた

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英語と日本軍

『英語と日本軍』

著者
江利川 春雄 [著]
出版社
NHK出版
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784140912386
発売日
2016/03/25
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「敵を知る」手段は放棄されていた

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

「助ケテ」「助ケテ下サイ」

「廻れ右」「誰か一人前へ出ろ」

「交際(つきあ)ツテクレマセンカ」

 右から順に一九四四年、四五年、四六年に、米軍が将兵に配布した日本語会話帳に収められた日本語表現の用例である。戦場ではともかく生き延びろと教え、やがて捕虜を処遇する側の目線となり、進駐軍として来日する戦後には女性をデートに誘う余裕ぶりだ。

 当時アメリカ陸海軍はそれぞれ日本語学校を作り、海軍は終戦までに千人余の語学将校を送り出し、陸軍も日系二世を中心に約七千人に日本語教育を施した。ほかにも米軍は、一万五千人を超す下士官を全米約十ヵ所の学校に集め、九ヵ月間の集中特訓で日本語をたたき込んだり(陸軍特別研修計画)、占領に備えて三千人規模の日本語特訓をカリフォルニア大学等に委嘱したりもしている。

 そうした米軍の熱意とちょうど逆なのが日本軍の場合だといわれる。先の戦争で日本はアジア・太平洋地域で米、英、中国などを相手に戦ったのに、英語、中国語、その他のアジア諸語を集中的に特訓した形跡がない。英語などは敵性語として忌避された。他国語に通じることが他国文化と国民性を知る最も簡便確実な方法だとすれば、日本は「敵を知る」ことを自らに禁じつつ敵と戦ったことになる。これではなかなか「百戦殆(あや)うからず」というわけにはゆかない。

 本書は明治の創設以来、日本の軍隊が外国語教育をどのように行ってきたかを概観する。驚いたことに陸軍の最エリート校たる幼年学校では長い間、外国語はドイツ語、フランス語、ロシア語のみが教えられ、英語や中国語などは次の士官学校で主として中学修了者が履修した。陸軍大学校進学は圧倒的に幼年学校出身者が多く、従って最優秀者に許される外国留学もドイツが三十三%でトップ、ついで仏・露と続き、中・英・米は併せても三分の一に過ぎない。つまり対米英戦当時の陸軍要路者のほとんどはドイツ語組で、英語を解しなかったというのだ。これは語学教育が人事と結びついて官僚化してしまった弊害にほかならない。

 しかし士官学校や海軍兵学校などでの英語教育自体は、勤労動員などでまともな授業の行えない当時の中学・高校に比べずいぶん先進的で恵まれたものであったようだ。海軍は物資も乏しくなった昭和二十年四月、陸軍の幼年学校に相当する兵学校予科を初めて設け、四千人もの生徒を受け入れるが、あるいは戦後復興に役立つ若い力を海軍で隔離・温存しようとしたのかもしれないという。

 最後に著者の苦言を一つ。昨今の「話せる英語」一辺倒主義は、かつて幼年学校が世界情勢と無関係に独・仏・露語のみを教え続けた独善というか硬直と一つではないのか、と。

新潮社 新潮45
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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