「何者か」への報告

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「何者か」への報告

[レビュアー] 太田靖久

 幼い頃、母に対して頻繁に投げかけた問いがあった。「どうしていつか死ぬのに僕を産んだの?」母がその都度何と答えたか、不思議と覚えていない。

 不幸だった訳ではない。死ぬことがただ怖かった。成長してもその感覚は抜けず、世界の仕組みを知れば怖くなくなるのではないかと考えた。旅に出た。映画を観た。文章を書いた。少しずつ世界が立体的になるように事象の成り立ちや存在の意味を理解した。でもある段階で気づいた。身に付けた知識や知覚にも「死んでしまうこと」を止める力はない。

 過去を振り返った時、思い出を恣意的に選べない事実をひどく残酷だと感じる。どうして思い出せないのか、どうして思い出してしまうのか、その違いは何か。ジョナス・メカスの映像や森山大道氏の写真に出合った時、「この作家は人が何を懐かしがってしまうのかがわかっている」と感じた。自分にも何か書けると思った。

 二〇一〇年一〇月に『ののの』で新潮新人賞を受賞し、私はデビューした。その作品は、増水した川が氾濫したために父を亡くし、孤児になった主人公が孤独を抱え生きていく物語だった。その約五ヶ月後、二〇一一年三月一一日に震災が起きた。津波の映像を見た時、これは世界を都合よく引き寄せる発想だと自覚してはいたが、自分の物語が予言性を帯びていたと感じ、次々に起こる出来事と『ののの』の細部を重ね、暗喩の意味を事後的に補完した。震災とその後の事象を次の小説に落とし込む使命のようなものを自分は有していると、強く感じもした。

 東北地方に足繁く通ったり、シンポジウムに参加したり、様々な書籍に目を通した。畠山直哉氏の『気仙川』を恵比寿のナディッフで手に取ったのは二〇一二年の秋だった。これは、陸前高田市気仙町出身の氏が、震災前と後に自らの故郷を写した写真集である。震災から数日後、氏がオートバイに乗り、家族の安否を確かめに故郷に向かうドキュメントの文章が添えられている。道中、氏は母の死を知る。

 一読し、身体が震えた。私は氏と共に生々しく体験し、時間も場所も空間も飛び越え、ここ恵比寿に帰ってきた。この写真集を開く前の自分にはもう戻れない。

 今回その畠山直哉氏と大竹昭子氏の対話集『出来事と写真』を書評することになった。帯に「未来への問い」とある。私の「問い」の原点は、母への「あの問い」だった。

 本書には六度の対話が収録されている。最初は震災から約七ヶ月後、東京都写真美術館で開催された畠山氏の『ナチュラル・ストーリーズ』展の関連イベントで行われた。展示にはのちに『気仙川』に収録される写真もあった。大竹氏によれば、この畠山氏の故郷の写真群は一部の観客を戸惑わせたらしい。「個人的な出来事を主題にしてこなかった彼がそれをおこなったことへの違和感などが理由」だったようだ。だが畠山氏は語る。「ほかの作品とつりあいが悪いから、あるいはこれを作品と呼べるのかどうかよくわからないからちょっと寝かしておこうというふうな判断も可能だったかもしれないけれども、僕にはそれが不自然なことに思えた」。そして「自分の身を差し出すからみんなで考える素材にしてくれ」と。

 私は展覧会には足を運ばなかったが、写真集によって「差し出されたもの」を受け取った。それは「考える素材」ではなく「答え」だった。紋切り型の人生訓やクリシェではない。「あの問い」を誰かに託すのではなく、自分で解決することを知ったという意味での「答え」だった。私はそうやって「あの問い」に決着をつけ、次の「問い」を目指した。

 畠山氏は語る。「僕は、疑問とか質問というのは、すべてが正しいと思っているんですよ。答えはそうとは限らないんだけど。質問の中には何かいつも真実があるんですね」

 全ての「問い」が無条件に肯定される場所。私がそこをイメージする時、幼い子供と母がたたずんでいる。子供は母の服を掴み、現実性も倫理性も無視して無邪気に何かを問う。母は答えたり、笑ったり、いさめたりする。

「どうして写真を撮るのか? 素直に言えば、僕は誰かにその写真を見せたいというより、誰かを越えた何者かに、この出来事全体を報告したくて写真を撮っているのです。その「何者か」が、どんなものかははっきりとは言えませんが」と畠山氏はいう。本書の流れに沿うなら、「何者か」は「自然」というのが近いのだろうが、私は「母」がそこに居るイメージしか描けない。つまりそれは私の、畠山氏の、大竹氏の、そして誰かの過去であり、現在であり、未来でもあるということになる。

 こう書くと、本書が感傷性を帯びた対話集に映るかもしれない。でも全くそうではない。写真展や写真集同様、思考のきっかけを促す「問い」の種が詰まっている。あまりに多岐に渡るため、わざわざ列挙しない。入口はいくつも用意されている。本書を読む人がそれぞれの迷宮をさまよえば良い。

 両氏は慎重に言葉を選び、事実や歴史を用いて思考を整え、より緻密で複雑な場所へ導いてくれている。「ある種のナイーブさ、感情や感覚に従った素直さで向かっていただけでは、発表するに値する作品にはならない」との大竹氏の指摘は真っ当だ。小説も一つの「問い」に執着するだけでは形にならない。複数のアイディアを駆使し、困難に挑み、実行し、遠くまで行く。でもどこに向かったとしても、帰る場所は絶対に必要だ。

 そんな風に物語を紡ぐ時、私は母の横の「子供」にもなれるし、「神」にもなれるし、「母」にもなれる。その自由な視点は「写真」にも置き換えられるだろう。三脚を持ち上げて撮影場所を移動する仕草は、ドキュメンタリー映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』でも何度も映った。ただ、そこが「写真」で撮ることができない場所なら、「言葉」は有用な道具となるはずだ。最後の対話で「僕はやっぱり言葉が大事っていうか、言葉があるからこそ世界が見えてくるという立場です」と畠山氏は語る。

 遠くない未来において、氏の「写真」はもちろんだが、その「言葉」でのさらなる「報告」に触れたいと、図々しくも私は願ってしまう。そしてその願いはたぶん私だけのものではないと信じている。

新潮社 新潮
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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