【聞きたい。】井上ユリさん 食事から見た“女傑”の実像『姉・米原万里 思い出は食欲と共に』
[文] 高橋天地
ロシア語通訳の第一人者で、晩年は作家、エッセイスト、翻訳家として活躍した米原万里(1950~2006年)。毒とユーモアをたっぷり含んだ独特な語り口で愛された異能の知識人だ。5月25日で没後10年を迎えた今年、妹でイタリア料理研究家の井上ユリさん(63)が姉の素顔をつづったエッセーを刊行した。
「死後もなお慕われる姉とは何者だったのか。私は自分が専門とする料理をテーマに姉の実像をひもとく糸口を探ろうと考えた」
米原と井上さんは昭和34年、父の仕事の都合で冷戦下の現チェコ・プラハへ家族で転居。ソビエト大使館付属の8年制小中学校へ入学し、5年間を過ごした。出国時、米原は9歳、井上さんは6歳だった。
帰国後、米原は東京外国語大ロシア語学科を卒業。報道番組の同時通訳などで知名度を高めた。晩年は長年の夢、文筆活動へと軸足をシフト。プラハ時代の親友3人のその後を追うノンフィクション『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(平成13年)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、作家としての地位を不動のものとした。
『姉・米原万里-』では、積極果敢な仕事ぶりで知られる凄腕の通訳米原が私生活では意外なところで臆病風を吹かせる様子が随所に挿入されており、実に興味深い。例えば、昭和39年、プラハから一家で帰国する途中に立ち寄った中国・広東での食事の場面だ。
「ごちそうとしてふるまわれたヘビ料理には全く箸を付けず、姉が食べていたのはお粥(かゆ)ばかり。実は知らない食べ物は苦手。即断即決の私とは正反対ね」。井上さんは笑う。
繊細で傷つきやすい一面を隠し持ち、日本の常識が通用しない異文化との付き合い方を考え抜いた姉の孤独な闘いに思いを致しながら、井上さんはこんな言葉を口にした。「冷戦後も紛争の絶えない現在だからこそ、姉の言葉は輝きを増すのではないか」と。(文芸春秋・1500円+税)
高橋天地
【プロフィル】井上ユリ
いのうえ・ゆり 昭和28年、東京都生まれ。著書に『今日からわたしは一流シェフ』など。夫は作家の故・井上ひさし。