ヒトラーが2011年にタイムスリップ…「自分は正しい」を考える3冊

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ヒトラーが2011年にタイムスリップ…「自分は正しい」を考える3冊

[レビュアー] 瀧井朝世(ライター)

 自分は正しい判断ができるはずだ――と思っていても、人は時に間違うもの。時折思い出すのは、かつて西ベルリン市長、西ドイツ首相でノーベル平和賞受賞者のブラントの「人は原因よりは現象にひっぱられるものだ」(引用元:永井清彦『現代史ベルリン』朝日選書)という言葉。人の判断基準は、置かれた状況によって左右されるものなのだ、と教えてくれる言葉だ。

 あの時代、ナチスを支持した人々も自分たちの判断は正しいと思っていただろう。ではもし、今の不安定な時代にヒトラーが現れたら? ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(森内薫訳)は、なんとこの独裁者が2011年のベルリンにタイムスリップ。周囲は物真似芸人と思い込み、彼は一躍人気者に。その発言のゆるぎなさによって、次第に人々は彼に魅了されていく。独裁者は暴力により生まれるのではない。社会に不満や不安を抱える人々の心理が、一人の人間を独裁者に仕立て上げるのだ。ひとしきり笑った後に、すっと背筋が寒くなる。映画化作品も今月公開される。

 シャルリー・エブド事件後、フランスでベストセラーになったヴォルテールの『寛容論』の新訳が登場した(斉藤悦則訳 光文社古典新訳文庫)。18世紀半ばの南仏のプロテスタント一家に育ち、カトリックへの改宗を望んでいた長男が自殺。町のカトリック信者たちは父親が殺したと信じ込み、彼を逮捕し拷問、処刑。その名誉回復のために奔走した著者が、理性と寛容をもって多様性を受け入れることの意義を力強く説いた一冊。「自分は正しい」と思い込むことは無知と偏見の始まりだと気づかせる。

 そうしたテーマを内包するのが吉田修一の『怒り』(上下巻 中公文庫)だ。猟奇的な殺人を犯した青年が整形手術をして逃亡。1年後、東京、千葉、沖縄の3か所に、それぞれ身元不明の青年が現れる。地元の人間との温かみのある交流が生まれるが、なかには青年を殺人犯ではないかと疑う人間も出てくる。人を信じることと疑うこと、自分を信じることの脆さと残酷さを抉り出す傑作だ。

新潮社 週刊新潮
2016年6月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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