思想家の回想に果敢に斬り込む

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鶴見俊輔

『鶴見俊輔』

著者
村瀬 学 [著]
出版社
言視舎
ISBN
9784865650525
発売日
2016/05/18
価格
3,024円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

思想家の回想に果敢に斬り込む

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 昨年、九十三歳で亡くなった、戦後を代表する思想家のスリリングな伝記が現われた。「言視舎評伝選」という意欲的なシリーズの一冊、村瀬学の『鶴見俊輔』は、鶴見を思いっきり突き放し、時には寄り添い、その思想から何を受け継ぐべきかという問題意識をもって、鶴見の生涯を検証した本である。

『思想の科学』を半世紀にわたって出し、戦前戦中戦後を『転向』という切り口で共同研究した鶴見は、「ベ平連」や「九条の会」といった市民運動を続けた社会運動家でもあった。六〇年安保では東工大を、七〇年安保では同志社大を辞職して抗議した。戦争を忘れないために、八月十五日になると頭を丸坊主にするといったパフォーマンスにも長けていた。

 そうした多面的な活動は、老年期にいたって、『期待と回想』以下の十冊に近い回想本によって自身の口から飽くことなく語られた。その闊達自在な語り口で、鶴見の魅力は最大限に引き出されたといえる。聞き手はおおむね鶴見の熱心な読者であり、信奉者であった。そのためか、鶴見の奔放な語りに「突っこみ」が入ることは少なく、言いっ放しという感があった。「回想」と「著作」と「行動」のどこに鶴見の真意が込められているのか、ヌエ的なアイマイさが残った。自らをタヌキに擬する座談の名手に、はぐらかされた気分になるのだった。

 その鶴見の「回想」に、果敢な「突っこみ」を入れたのが、村瀬の評伝である。村瀬がもっとも力をこめて解明したのが、鶴見と母との関係だった。鶴見の回想は判で押したように、両親の悪口から始まる。「一番病」の学校秀才で、総理大臣になりたがり、自由主義から超国家主義に無自覚に転向した政治家の父・鶴見祐輔。大物政治家だった後藤新平の娘に生まれ、ゼロ歳の時から息子を折檻して、「お前は悪い人間だ」と言い募る母・愛子。異様な子育てをする母に反抗して、不良となり、退学と自殺未遂をくり返し、遂にはアメリカに放逐となる「小学校卒」の学歴しかない問題児。鶴見はハーバード大を卒業しているのだから、「小学校卒」という学歴“詐称”は、逆自慢話にしか聞こえない嫌味なものだ。

 そうした鶴見の屈折を解くキーワードとして、「貴種を折る」という耳馴れない言葉を村瀬は提示する。「暴力を振るう母」という鶴見の語りのパターンを読み込む中で、村瀬は母の「暴力」を読み替える。祖父・後藤新平伯爵という存在から発する「特別な扱い」を享受して、得意となっていた幼い息子に対し、偉いのはお前ではなく、お祖父さん、お父さんですと諭すために暴力は振るわれた。鶴見もそのことに気づいているからこそ、母の悪口を言いながら、「母の正義」「母の正しさ」を認めていたのだろうと。

 後藤新平は自分の娘と同じ年くらいの「妾」を大邸宅の中に囲い、七人の子供を次々と産ませ、戸籍に入れず、養子養女に出していた。母の愛子は、世間的には立派な自分の父親の「私生活の顔」を知っていたがゆえに、息子の俊輔が「得意」になることを許さなかった。

「貴種」を折檻して、矯めるという母の行為は、息子の鶴見の軌跡にさまざまな痕跡を残した。「鶴見俊輔の生涯はこの「貴種」を「折る」ということの戦いの生涯であったといえる」とまで村瀬は書いている。中学生時代に、鶴見は無政府主義者クロポトキンの『ある革命家の思い出』と出会い、「貴種」に生まれた者の苦悩を確かめる。「貴種」の探索は、古事記にまで遡り、『アメノウズメ伝』を鶴見に書かせるまでになる。

 村瀬が本書を書くのに大いに役立ったとする二冊の本がある。ともに藤原書店から出た本である。藤原書店は、鶴見の姉・鶴見和子の著作集を出し、後藤新平再評価に取り組み、その流れで、後藤新平の「妾」と「婿」の伝記も近年出版した。村瀬は「妾」の伝記を読んで、鶴見和子・俊輔という秀才学者姉弟が、家系図から欠落させた「河崎きみ」という「妾」の生涯に着目し、「妾」の孫である河崎充代が鶴見の『期待と回想』に不満を持っていることを嗅ぎ取る。鶴見が『期待と回想』で、「河崎」を「川崎」と誤記していることも村瀬は見逃さない。

 もう一冊の「婿」とは、俊輔の父・鶴見祐輔である。初代総理伊藤博文の幼名「俊輔」を父からつけられたことを恥じる鶴見は、転向研究は父親への批判であると広言していた。「転向して戦争を支持した知識人」の筆頭として父親の名を挙げた。しかし「婿」の伝記を読めば、その父の評価が誤解か曲解であり、むしろ日米戦争を避けるべく努力した政治家であることは明瞭である。鶴見のアメリカ留学は父のネットワークがあってこそ実現したし、敗戦後すぐに『思想の科学』が創刊できたのも、父の力であった。そうした事実を否定したいがために、父が矮小化されたのではないか、と村瀬は追及していく。

 本書を読んで、鶴見が父と母を過剰に「糾弾」し、祖父・後藤新平を、父母とは反比例して、不問に付した、という印象を持った。鶴見の公平で誠実な近代史認識に照らせば、後藤新平の植民地経営やシベリア出兵決定は、大いに批判されてもおかしくないからだ。

「十五年戦争」とは鶴見の造語である。それは満洲事変以前の歴史を不問に付すことにもなりかねない。鶴見の祖父と両親とに対するダブルスタンダードには、近代史を解く重要な鍵が隠されているのかもしれない。

 漫才を愛し、批判によく耳傾ける思想家だった鶴見が、村瀬の「突っこみ」にいかに応じるか。存命中に本書が完成しなかったのが惜しまれる。

新潮社 新潮45
2016年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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