時は天保、姫とゆく逃亡の旅…今年80歳の名手復活

レビュー

5
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疾れ、新蔵

『疾れ、新蔵』

著者
志水辰夫 [著]
出版社
徳間書店
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784198641658
発売日
2016/06/08
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

時は天保、姫とゆく逃亡の旅…今年80歳の名手復活

[レビュアー] 香山二三郎(コラムニスト)

 二〇一一年に長篇『夜去り川』と連作集の『待ち伏せ街道』を刊行してから四年半余り。もう引退なのかと愛読者を不安がらせた志水辰夫の待望の最新時代長篇である。

 時代は一九世紀前半、天保年間。江戸・永田町にある越後岩船、酒匂(さかわ)家の上屋敷で異変が起きる。国許の大目付・須河(すごう)幾一郎が留守居の綱淵春信を討ちそこねて死んだのだ。酒匂家の財政は逼迫(ひっぱく)しており、その原因を江戸表の冗費と見る国許との対立が深まっていた。須河はその大本を成敗しようとしたのだった。

 御用金の運搬役として須河と上京していた森番の若者・新蔵はそれを知るや、幼馴染で故郷の大地主の孫娘にあたる志保姫を連れ出し、田舎の母親の許へ送り届けようとする。 かくして新蔵と志保姫の逃亡の旅が始まる。読者は本の見返しの街道図で逃走経路を確認しながら、新蔵と追手たちとの駆け引きを楽しめるという寸法だ。

 現代小説的な派手なアクションはないものの、著者はあの手この手でそれを補ってみせる。まずは脇役。志保姫のため新蔵は駕籠かきを雇うが、そこで登場するのが政吉と銀治という大飯喰らいの凸凹コンビ。ふたりは軽口を叩きながら長旅に同行することになる。また真岡を過ぎたところで出会う、うり坊(イノシシの仔)連れのワケあり女、おふさ。生活力あふれるこの女性からは、たくましさのみならず、飢饉に見舞われた東北の惨状もあぶり出される。

 単なるキャラクターの面白さだけでなく、幕末近い庶民の生活誌がありありと描き出されるのだ。

 リアルなのは新蔵たちを追う側も同様で、お家の命とはいえ、実はこちらも金がない。勘定奉行の役方・羽村隆之は協力者に次々と去られ、仲間との呼吸もなかなか合わぬまま新蔵に振り回され、一日五〇キロ以上も歩かされる羽目に。

 また中盤からは、新蔵たちの故郷の隣村・普賢村をめぐる秘密も織り込まれていくし、不気味な刺客の兄弟(!?)が新たに登場、剣戟シーンもちゃんと用意されている。まさに四年半余のブランクを感じさせないサービスぶりだが、それもそのはず、著者は今年八〇歳を迎えるが、ブログで新たな分野への挑戦を宣言しているのである。

 この著者独自の“股旅もの”は他にも、江戸と諸国を単独で歩き通す通し飛脚の活躍を描いた「蓬莱屋帳外控」シリーズ(前出の『待ち伏せ街道』はその第三作)がある。これを機会にそちらもぜひご一読を!

新潮社 週刊新潮
2016年6月30日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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