バナナの“食べるところ”は実でなく皮――変人だった日本植物学の父

レビュー

9
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牧野富太郎 なぜ花は匂うか

『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』

著者
牧野 富太郎 [著]
出版社
平凡社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784582531558
発売日
2016/04/11
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

バナナの“食べるところ”は実でなく皮――変人だった日本植物学の父

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 牧野富太郎と言うより、正月に羽織袴で松竹梅を活けた「マキノ君」の随筆集と言ったほうが、高野文子のマンガ『ドミトリーともきんす』の読者にはピンとくるかもしれない。新しくはじまった科学者のエッセイ・シリーズの一冊である。

 かなりの変人にまちがいない。植物が好きでたまらず、小学校を二年で自主退学。全国を駆け巡って植物を採集し、標本を作り、絵を描き、日本の植物分類学の基礎を築いた。「植物と心中を遂げ」た人生である。

 一輪に見える菊の花は、たくさんの花の集合体で、一種の社会が形成された「高等な花」であるとか(皇室の紋章になったわけだ)、バナナで食べるのは実ではなく、黄色い皮の内側にあるもうひとつの皮(内果皮)であるとか、ドクダミはオシベが「インポテンス」で役立たずになり、地下茎で繁殖するようになったとか、ふだんは漫然と見ている植物の秘密に驚かされる。

 彼の目には、動かぬはずの植物が、動物のように見えていたふしもある。イチョウの娘の家(雌木)に飛び込んだ男子(精子)が、娘と「結婚」にいたるまでを描いたくだりには、そうした感性がいきいきと活写されているし、アケビの実が開いたのをじっと見つめて、「ウーメンのあれに似ている」と「にいっとする」ところなどは、彼が惹かれたのはなによりも植物の生殖にかける知性だったのではないか、と憶測せずにはいられない。

 その植物の教えだろうか、本人も十三人の子宝に恵まれた。組織とは無縁だったから生活は困窮を極めたが、奥さんは「道楽息子を独り抱えたようだ」と言いながら支えた。「書き付け花」の語源をもつカキツバタの花びらを白いワイシャツの胸にこすりつけ、染まった!と喜ぶところなどは少年の無邪気さが全開。大変でしたでしょうと奥さんに慰労の言葉のひとつもかけたくなるが、何かに一途に邁進する人には降参するしかないのである。

新潮社 週刊新潮
2016年6月30日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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