最高の教養人・ケーベル博士が見た日本の大学 「時間潰しの論文作成なるものが…」

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ケーベル博士随筆集

『ケーベル博士随筆集』

著者
ラファエル・フォン・ケーベル [著]/久保 勉 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784003364116
発売日
1957/11/25
価格
726円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

最高の教養人・ケーベル博士が見た日本の大学 「時間潰しの論文作成なるものが…」

[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)

 明治以来、日本に来た外人の教師には後世に影響を与えた人が少なくない。よく知られた例では北海道のクラークなどである。

 しかし日本の知識階級に広く深い影響を与えた外人教師といえばラファエル・ケーベルであろう。彼は高級官僚であったドイツ系ロシア人を父とし、ロシア人とスウェーデン人の血の少し混じったドイツ人を母としてロシアに生まれた。従って国籍はロシア人であったけれども自分では一生ドイツを自分の祖国とみなし「最も住みたい場所」としてもドイツを挙げていた。彼の育った家庭と受けた教養は良き時代の良き伝統を受けつぐ環境(かんきょう)であった。

 まず受けた教養。モスクワ音楽院で主として師事したのは作曲家のチャイコフスキーやピアニストのルービンシュタインの弟であった。音楽院は優等の成績であった。学問はドイツにおいてドイツの有名な哲学者たちが雲のごとく現れた時代にその多くの哲学者に師事したのであった。

 そして最後にはハイデルベルク大学におちつき、ショーペンハウアーに関する論文で学位をとったのであった。要するに彼は当時の哲学と音楽の最高の教養を身につけたヨーロッパ人として日本に招かれたのである。

 そして帝大では哲学を教え上野の音楽学校(現芸大)ではピアノを教えたのであった。その人が当時の日本の大学を見た感想は今の我々にもグサッとくる所がある。

 例えば学生の論文についてはこう言っている。

「不要にして時間潰しの論文作成なるものが作者の虚栄心を甚だしく刺戟(しげき)すること、また年若き人はこの悪霊に駆られて、知らず識(し)らずの間に、しかもきっとそして殆ど除外例なく、彼が最も容易にその虚栄心を満足せしめうるところの、ジャーナリストおよび文芸欄記者の途(みち)に堕(だ)するに至るということである」

 また別の分野においてはこうも言っている。

「――とくに性的生活を既に通過した年の行った婦人に至っては――たしかに世に最善なるものの一つである」と。

新潮社 週刊新潮
2016年7月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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