猿のように醜い顔ゆえ、美を求めた運慶…平成の祈りの書

レビュー

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荒仏師運慶

『荒仏師運慶』

著者
梓沢, 要, 1953-
出版社
新潮社
ISBN
9784103345329
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

猿のように醜い顔ゆえ、美を求めた運慶…平成の祈りの書

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 決して多作ではないが、作品が刊行されればハズレのないのが梓澤要である。

 結論からいってしまえば、これは平成における祈りの書といっても良いのではあるまいか。

 少年時、猿のように醜い顔といわれた運慶は、それ故、美を求め、鎌倉武士の逞しい肉体やたおやかな女の姿態を仏の姿に写しとるようになる。

 だが、ここで運慶の心に宿っているのは、個人的な情熱にすぎない。それが、快慶との確執、政治や権力との関わりの中、いわば、〈個〉から〈公〉となって、慶派一門を率い、“霊験仏師”とまで称され、絶頂期を迎えるようになる。

 一方、時は乱世――。

 多くの罪なき大衆が死に、寺は焼かれ、貴い仏像も炎の中に。乱世は常に現在進行形である。

 そしていま、私たちの周囲で起こっている諸々の災害――阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震等々――に、どれだけの救いがもたらされたというのだろうか。

 つい先日も、東電の社長が原子炉のメルトダウンを隠していたことを謝罪したばかりではないか。さらに権力の座にあぐらをかいて、都民の血税をいいようにする輩。

 ここで私は、夏目漱石の『夢十夜』の第六夜を思い出した。主人公は、運慶が木の中から自在に仁王を掘り出すのを見て、自分もやってみるが、明治の木の中には仁王は埋まっていなかった、という、一種の諦観に満ちた短篇だった。

 しかしながら、梓澤要は違う。

 こんな時代であるからこそ、木の中には運慶の彫った仁王がなければならない――私が、本書は平成における祈りの書である、といった理由はここにある。

 絶頂期に病に倒れつつも復活、「人の心に刻み込まれるお像を一体でも造ることが出来れば、それで満足」という運慶晩年の心境は、私たちにとっても安らぎである。

新潮社 週刊新潮
2016年7月14日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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