「男なのにこんなことは変なんじゃないか――」三人の関係には、昏い秘密があった

レビュー

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夏の方舟

『夏の方舟』

著者
海猫沢 めろん [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041028292
発売日
2016/06/28
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

からだの秘密がつながっている場所

[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)

 季節は夏。

 海辺にぽつねんとたたずむ電話ボックス。きまぐれな夕立に、二人の少年が閉じ込められてしまう。

 降りしきる雨のせいで、そこだけがふいに世界から隔絶された感覚に陥る。むせかえるような暑さ。潮の香りと濡れたアスファルトの匂い。気が遠くなりそうな時間の中、少年たちは互いが持っている「体」をいやおうなく意識させられることになる――その意味をきちんと理解する前に。

 これは、誰もが逃れようのない身体性をめぐる、おそろしく繊細かつショッキングな連作短篇集だ。ここに登場する人びとは、自分に与えられた肉体に戸惑い、傷つき、傷つけあった挙句、おなじぶんだけ救われもする。

 そんな狂おしい痛みと再生の物語の中心にいるのが、ひとりの美しい男の存在だ。その蠱惑的な肉体が、それぞれの心を淫靡にざわつかせ、虚飾をはぎとり、ほんとうの輪郭を際立たせていく。

 冒頭の物語は、水無月という若い男の視点から語られる。彼は瀬戸内海に浮かぶ島で、観光用のガイドシステムや漁業データ等の情報の管理をしながら生計を立てている。

 水無月がやたらと「データ」に固執するのには理由がある。彼には、どうしても保存しておきたい、大切な思い出があるのだ。それは、幼い頃の親友で、十年前の火事で亡くなった遠野宮の存在だった。

 自分を含め、島の子供たちを惹きつけてやまなかった遠野宮の変容と突然の死。夏の日の海辺の電話ボックスで共有した、永遠のように尊い時間――水無月はいまもひとり、その感傷の中をさまよっている。ところが、当時の転校生で、危うい美しさを振りまいていた少年・黒坂が再び島に現れたことで、これまで逃げ続けてきた苦い記憶と向き合わざるをえなくなる。

 男なのにこんなことは変なんじゃないか――欲望にもっともらしい理由をつける術を知らない子供たちの言葉は、ある意味ひどく残酷だ。水無月と遠野宮、そして黒坂の三人の関係には、芽生えたばかりの性欲をめぐる昏い秘密があった。けれど、傷つくことが、あるいは、傷つけてしまった事実を認めるのが怖い水無月は、黒坂を憎むことで、その肉体を否定しようとする。

 だが、ほんとうは、「心」だけが人間を象徴するのではない。「体」だってむろん人生であり、かけがえのない財産なのだ。

 痛々しい真実を突きつけたあと、あざ笑うように目の前から消えた黒坂を追って東京に出てきた水無月は、彫り物師を生業にしている彼の実父・人見のもとを訪ねることになる。ほんのはずみからこれ以上ないほどの泥沼にはまり込み、周囲の人間を傷つけてしまった過去を持つ人見。だからこそ彼は、タトゥーについて揺るぎない信念を持っている。

〈統一感なくタッチも手法もばらばらの彫り物が入った落書きのような身体を、みっともない、美しくないと感じる人びともいるだろう。だが、不用意に(中略)判断するべきではない。それはどのようなものであっても、その人が生涯背負って行かなくてはいけないものなのだから〉

 他人の体に一生消えない傷をつける――その重みを自覚することで、自らの人生を取り戻した人見の言葉は、ただ力強いだけでなく、しなやかな奥行きを備えたものとして響く。

 思い出は時間の砂でみがかれる。

 心の中の大事な場所に閉じ込めた記憶は、確かにくらくらするほど美しい。ゆえに、その輝きにあてられた私たちは、傷だらけの現実をむやみに拒絶しようとしてしまう。けれどほんとうは、「傷」の定義など簡単にひっくりかえせるのだ。

 この世にふたつとない、人生を彩る鮮やかな模様。正真正銘のオリジナルデザイン、しかもけっして古びることはない。それはいつだって、自分次第で浮かび上がらせることができる。

KADOKAWA 本の旅人
2016年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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