〈刊行記念対談〉白石一文『記憶の渚にて』×森 絵都――愛、宗教、神秘……。世界の営みの謎を解き明かす、記念碑的長篇。

対談・鼎談

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記憶の渚にて

『記憶の渚にて』

著者
白石 一文 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041025277
発売日
2016/06/28
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

刊行記念対談 白石一文『記憶の渚にて』×森 絵都

愛、宗教、神秘……。世界の営みの謎を解き明かす、記念碑的長篇。

「小説の限界に挑んだ、私の作家人生を賭けた作品」(著者Twitterより)。白石一文が、渾身の長篇『記憶の渚にて』を刊行する。勝負の一作をまず最初に手渡したいと思った相手のひとりが、森絵都だった。ともに直木賞作家であり、リスペクトを送り合う二人が、『記憶の渚にて』で示された可能性を軸に、「小説の現在」について語り合った。

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白石 私が初めて読んだ森さんの本は、『いつかパラソルの下で』(二〇〇五年)という不感症の女の人の話でした。あまりにも不感症の描写がうまいから、「オール讀物新人賞」の選考委員でご一緒することになって、初めてお会いした時に、「森さん、もしかして不感症なんですか?」って聞いたんですよね。「あれは小説の中のことですから」とばっさり切られましたが(笑)。

森 そんなこと、ありましたね(笑)。私が一番最初に読んだ白石さんの作品は、『僕のなかの壊れていない部分』(二〇〇二年)だったと思います。それまで読んだことのなかったタイプの小説で、すごく強烈でした。私、白石さんの小説の「軌道」が好きなんですよ。予測のつかない独特の軌道を小説の底に常に感じるんです。その謎が知りたい、もう一冊読んでみようとやっていくうちに、今回改めて振り返ってみたら、ほぼ全部読んでいました。

白石 森さんはどうやって軌道を引いてます? ある程度、先に決めてます?

森 入口と、うっすら出口ぐらいで、あとは探りながら書いてる感じですね。

白石 その感じは私も同じですね。ただ、最近は出口も考えない。入口だけかな。

――『記憶の渚にて』の「入口」は、語り手である古賀純一が、死んだ兄との思い出を想起するところから始まります。「自分には記憶が見える。そしてその記憶こそが現実なのだ」。そう言い切っていた兄の性質は、弟の古賀純一にもなんらかの形で受け継がれているのかもしれない……。そんなふうに予感させる場面が描かれ、物語が動き出します。

白石 小さい時から、自分だけに見える川があるんですよ。水流というか、水脈というか。そういうものを、普通は錯覚だとか思い込みだとか寝不足だとか思っちゃうんだろうけれども、あながちそれだけでは処理できないんじゃないか。「あるんだけど見えてないものっていっぱいあるんじゃないか?」と思うんです。そのうちのひとつが、記憶だったんです。

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■「正しい」とされることに
ちょっかいを出したくなる

森 『記憶の渚にて』には本当にいろいろな要素が織り込まれていて、これまでの白石さんの作品の中で最も立体的な、謎に満ちた物語だと思うんですが……これまでとは、何かが違う感じがしたんです。これも書きながら軌道を立てられたんですか?

白石 この作品に関しては特殊な事情があるんです。冒頭から二百枚までの原稿は、八年近く前に書いてるんですね。第一部の終盤ぐらいまで。そこで行き詰まって止めていた原稿を、再開させたんですよ。

森 そうだったんですね。近年の白石さんの作品は、人と人との繋がりから生まれる不思議な縁が大きなテーマの一つだと思うのですが、今回はまず中心に謎があり、数多の因果が織りなす大きな不思議があって、人間はそれに翻弄されているような印象を受けたんです。そこが今までとは違うところなのかな、と思ったんですが。

白石 私ね、理屈のつかないものについ理屈をつけようとするんです。本当だったら言葉では説明できないものを、なんとか言葉で説明し尽くそうということに、小説を書くうえでのエネルギーをほとんど費やしてきた。今回はそういうことはひかえめにして、話のうねりとか、読者があっけに取られるようなもの、読み終わった時に「すごいな」ってストレートに言ってくれるようなものを書こうと思ったんですよ。そのために、一番効果的な手法を選んだという感覚はありました。

森 第一部の終わりでまさに、あっけに取られました。書き手と読み手の暗黙のお約束みたいなものが、ぶったぎられますよね。

――「次はどうなるんだろう」というか、「どうやって続きを書くんだろう?」となりました。

白石 書いている私も、まったく同じ気持ちでした(笑)。

森 第一部から第三部までを通して、群像劇の中心にいるのは「ミチル」という人物だと思うんです。どんな人物なのかを形容することはすごく難しいんですが……あの人物は、白石さんの中でどんなふうに生まれたんですか?

白石 八年前の原稿の段階で、ミチルを登場させているんですよ。ただ、どうして出したのか、いったい何者なのか、覚えていなかった。八年後の自分の目線から、「ミチルって誰だ?」と正体を探っていったんですよね。そういった謎の探究の仕方をしたのは、今回が初めてでしたね。それが良かったのかもしれない。しかも、謎を解いていくことによって、さらに大きな謎が生まれていくんですよ。

森 小説の最後に、ミチルからのメッセージが登場しますよね。すごく惹き付けられました。あれを読んだ時に、ここに読者の目を向けさせるために、こんなにも壮大な謎が必要で、ここまでの入り組んだストーリーが必要だったんだと思ったんです。

白石 それはその通りなんですよ。あの言葉を伝えるために、この小説を書いているんです。あの場所まで、読者を退屈させずに連れていけるように、小説作法の限りを尽くしたつもりなんです。

――『記憶の渚にて』で描かれる死生観は、森さんの小説『カラフル』(一九九八年)や『ラン』(二〇〇八年)で描かれるそれと、通じ合うところがあるのではないかと感じました。小説の中に書き込まれている思想や哲学を、森さんはどのように獲得されていったのでしょうか?

森 書きながら小説世界を少しずつ膨らましていくと、私自身もその小説世界の一員になり、その空気の中で自然に出てくる言葉ってあるんですよね。その世界の言語で、作中人物たちが喋り出すんです。

白石 言葉にはなっていないけれども滲み出ている、というものもありますよね。例えば、森さんがこの間まで「小説すばる」に連載をされていた「みかづき」は、学習塾を舞台にした何世代にも亘る物語でした。長い時間をかけて書くことによって、価値観が相対化されるじゃないですか。その時は正しいと思って下した決断が、別の時間軸から見てみると、正しくはなかったかもしれないということが分かる。それって人間が生きていくうえで、基本的に必要な感覚だと思うんですね。

森 作家ってどこかへそまがりというか、世間的に「正しい」と言われていることに対する抵抗って、常にあると思うんです。あまりにも正しそうなものに対して、ちょっかいを出したくなるというか。白石さんが書かれる主人公たちって、よく「混ぜっ返す」って言葉を使いますけど、いろんなことを混ぜっ返しますよね。

白石 確かに!(笑) でもね、絶対的に正しい善なんてないし、絶対的に信じられるものなんてない。それって寂しいことかもしれないけど、寂しくならないといけないんですよね、人間って。私は小説を通して、「人は寂しくていいんだ」ってことが言いたいんです。そういうことを書くのが作家だと思ってるんですね。

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■心も体もへとへとに疲れる
そんな小説を書き続けたい

森 白石さんの作品にはこれまでも、折にふれて「記憶」という題材がよく出てきたと思うんです。記憶障害とか、記憶力が良いとか、逆に記憶力が良くないとか。記憶にまつわる要素が、人物設定に採用されていたと思うんですね。今日、白石さんのお話を聞いていてもしかしたらと思ったんですが、白石さんってすごく記憶力がいい方なんじゃないですか?

白石 いいですね。小さい時から、あまりにも記憶力が良かったんですよ。記憶力が悪くなるためにはどうしたらいいか、試行錯誤していた時期すらあります。

森 記憶力が良ければ良いほど、過去に縛られるわけですよね。すべてを記憶しているわけだから、すべてに新鮮味がなくなっていくというか。そうすると、人生に退屈しやすくなりそうな気がするんです。

白石 うわっ、その通りじゃないですかね。だから、退屈してたんだ(苦笑)。今、初めて気づきました。

森 今回の小説では、そんなにも自分を振り回す記憶の正体を突き止めて、ねじ伏せてやりたかったんじゃないですか?

白石 そうかもしれないですね。私ね、ずっと前から「いつかこういう小説が書きたい」っていうひとつのイデアがあったんです。それを、ここでやってしまった感じがするんですよ。次に何を書いたらいいか分からない、空っぽになっているぐらいで。

森 最近の白石さんの作品は、世界がどんどん大きくなっている気がするんです。祈りの熱量もそうだし、寂しさの熱量も、どんどん膨張している。そうすると、小説を書くために必要とされるエネルギーが上がってくわけですよね。疲れませんか(笑)。

白石 めちゃくちゃ疲れますね。書いてる時はいいんですよ。この作品も書き終わった後、あまりに具合が悪くて丸四ヶ月休んだんです。その間に何が起こるかというと、まず息ができなくなる。その時はさすがに、病院に行ったんですけど。それが次の小説を書き出したら、よくなるんですね。「そうか、俺は小説を書けばいいんだ」と思うわけですけど、ところがそのうち今度はお腹の調子が悪くなってくる。

森 一つの作品を書くってすごいことですよね。心も体もへとへとになるし、からっぽになる。書けば書くほどからからになっていく感じがするんですけど、それでもやっぱり、小説を書くというのは、そういうことであるべきだとも思うんです。

白石 若い人たちには、力を出し切って書いてほしい。最近、あまりにも予定調和のものが多すぎると思うんですよ。小説が持っている「膂力」は、もっともっとすごい。それを出し切りたい、という気持ちで書いたのが今回の小説でした。「面白い」とか「楽しい」とかじゃなくて、「すごい」小説を読みたい人はぜひ読んでほしいですね。

森 この作品は、白石さんの作品がずっと好きだった人はもちろんですが、ひとりでも多くの人、これまで白石さんの作品に触れたことがない人にも読んでほしいです。

白石 あとは、おそらくは秋ぐらいに集英社から出るであろう、森さんの『みかづき』も。また今度、ゆっくりあの小説の感想をしゃべらせてください。

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白石一文(しらいし・かずふみ)
1958年福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋に勤務していた2000年『一瞬の光』を刊行。各紙誌で絶賛され、鮮烈なデビューを飾る。09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞を、翌10年には『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。巧みなストーリーテリングと生きる意味を真摯に問いかける思索的な作風で、現代の日本文学シーンにおいて唯一無二の存在感を放っている。『不自由な心』『すぐそばの彼方』『私という運命について』『神秘』『愛なんて嘘』『ここは私たちのいない場所』『光のない海』など著作多数。

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森 絵都(もり・えと)
1968年東京都生まれ。早稲田大学卒業。90年『リズム』で講談社児童文学新人賞を受賞し、デビュー。98年『アーモンド入りチョコレートのワルツ』で路傍の石文学賞、『つきのふね』で野間児童文芸賞、99年『カラフル』で産経児童出版文化賞、2003年『DIVE!!』で小学館児童出版文化賞、06年『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞を受賞。最新刊は『チョコたろう』。

撮影|ホンゴユウジ 構成|吉田大助

KADOKAWA 本の旅人
2016年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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