『伯爵夫人』 蓮實重彦著

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伯爵夫人

『伯爵夫人』

著者
蓮實 重彦 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103043539
発売日
2016/06/22
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『伯爵夫人』 蓮實重彦著

[レビュアー] 岡ノ谷一夫(生物心理学者・東京大教授)

 表紙の手触りに惹(ひ)かれた。ルイーズ・ブルックスを意識した髪型の女性の鎖骨と真珠の首飾りを、目が撫(な)でる。紙の本でなければできない主張だ。表紙に指を這(は)わせる。期待が高まる。開く。繰ってみる。煽情(せんじょう)的な単語がそこかしこに現れる。老人の戯(ざ)れ言か、回春術か、欲望の骨抜きか。読むべきか読まざるべきか。

 煽情的な単語は読み進めるにつれ、本来の意味を失っていく。伯爵夫人の豊穣(ほうじょう)さと、好奇心先走る従妹(いとこ)の閉ざされた色気の間で、二朗は流される。ドロステのココアの缶に描かれた入れ子構造の尼僧と崩れそうな世界の均衡とが対比をなす。睾丸(こうがん)の痛みはルー・ゲーリックのサイン入り硬球が当たったせいか、伯爵夫人に握りつぶされたせいか。

 幾層もの妄想の中で何度も精を虚に放つ主人公は、妄想の中でさえ、交合する機会を失し続ける。二朗の周囲には更衣室で属性を変えた人物ばかりで、二朗自身の出自もわからなくなってくる。そして日本は米英に宣戦布告する。これは老人の戯れ言ではなかった。これは個人と国家と人類の、それぞれの階層での存続の不安であった。読むべし。

 新潮社 1600円

読売新聞
2016年7月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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