がんを患う妻の爪を切る夫――生と死をめぐる〈新しい物語〉
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
山崎ナオコーラの『美しい距離』は、ステージの進んだがんを患う妻を看病する夫の内面を、「ぼく」や「私」といった一人称を慎重に避けながら丁寧に描いた小説だ。
顔や体や頭を拭いたり、手足のマッサージをしてやりたい。でも、できることは自分でやりたい妻の性分を理解している語り手は、決して自分本位に動いたりはしない。妻の母を筆頭に、仕事仲間など、手作りサンドウィッチ屋を開いていた妻のことを思っている人は大勢いて、配偶者というのは〈相手の社会を信じる者のこと〉だから、〈妻を独占しないようにしよう〉と自分をいましめる。
読んでいて切なくなるほどの気配りの人は、時々、病気にまつわるステレオタイプであるがゆえに無神経な言葉や対応に違和感を覚えもする。
〈医者たちが考え出した「余命」という物語に個人が合わせて生きていくなんて頭が悪すぎる。そんなに受け身でどうするんだ、と思ってしまう〉。介護保険認定調査員の大きなお世話に近いアドバイスに、つい、いらいらしてしまう。「早期発見は難しかったんですか?」といった〈問いを耳にするとき、他人の物語を押しつけられた、と感じる。妻は妻だけの物語を生きていた。しかし、妻自身が紡いだ物語とは別の一般的な物語によって、妻の終末が他人に認識されていく。すると、指と指の間からスライム的なものがだらだらと落ちていくような感覚を味わう〉。
これは、語り手の内面に寄り添うことで、人間の生と死からその固有性を奪ってしまう、一般化された言説のひとつひとつに異を唱える小説にもなっているのだ。
〈子どもには恵まれなかったが、豊かな十五年間を送ってきた〉同い年の妻との間の、出会った時からぐんぐん近づいていった距離。妻をどう看病すればいいか躊躇するたびに少し離れても、思いきって爪を切らせてもらえば、〈ぷちんぷちんという音に夢中になる。ぎょっとするほど楽しい〉と、縮まる距離。死後の時間が進んでいくにつれ離れていくように感じられる距離。でも――。
〈遠く離れているからこそ、関係が輝くことだってきっとある。/今は、離れることを嫌だと感じている。でも、嫌でなくなるときが、いつか来る。そんな予感がする〉
人との距離は、生きている間だけでなく、たとえ相手が死んだ後でも動き続ける。その動き続ける関係こそが愛なのだということを伝えて胸を打つ、これは生と死をめぐる〈新しい物語〉なのである。