加藤陽子×佐藤優・対談 いつか、この国を支える君たちへ 『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』刊行記念

対談・鼎談

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佐藤優『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』刊行記念 加藤陽子×佐藤優/いつか、この国を支える君たちへ

1加藤陽子さん、佐藤優さん

 日本屈指のエリート高校生たちに、自らの知識と経験を熱く語った佐藤優氏。その講義録に、歴史学者の加藤陽子氏が鋭く、しなやかに切り込む!

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加藤 この講義は灘高生からのアプローチで実現したものだそうですね。

佐藤 そうです。3年前に新潮社を通じて彼らから連絡がありました。灘高には社会で活躍するOBを訪問する行事があって、私は灘高OBではないんだけれども、その一環で話を聞きに行きたいと。

加藤 私も栄光学園の中高生たちへの講義を『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』という本にまとめたこともあって、たいへん興味深く拝読しました。高校生への講義には特別な面白さがあります。やはり、彼らが人生の大きな選択をする前の非常に緊張感を持った年頃だということと、生まれ育った地域や文化圏を離れる前の状況だというところに、その醍醐味があるのではないでしょうか。

佐藤 同感です。専門の領域を選択する前であることは重要ですね。それに、この生徒たちは偏差値で言えば日本の上位0・1%に入る超エリート高校生です。自分の理解力や情報処理能力が月並みの大人以上だとよく心得ている。ただし、洞察力や人生経験に基づいた判断力が弱いことにも気づいているので、わざわざ春休みに新幹線に乗ってOBの話を聞きに来たりするわけです。

加藤 そういう高校生が佐藤さんを「選んだ」理由に興味をそそられます。

佐藤 彼らは狭い世界で同質化することを恐れているように見えました。だから灘の先輩にはいないような、異質な人間に触れなくてはならないという強迫観念があるように思えました。もしかすると私が逮捕されていることが関係しているのではないでしょうか(笑)。

エリートたちの不安と選択

加藤 ますます面白い。この本では政治・経済・思想・国際関係から大学選びのアドバイス、読書のしかた、人間関係の注意点に到るまで、灘高生の求めに応じて佐藤さんがお話しになっていますが、私は生徒たちの発した質問に注目して読んでみたんです。すると彼らが〈大きいと小さい〉とか〈複雑と単純〉といった、二つの事柄の連関を捕まえたいんだということがわかりました。たとえば。

 佐藤さんの本を何冊か読ませて頂いて、すごく興味を持ったのが、今、世界が帝国主義化しているということでした。そんな帝国主義化が進んでいく世界で、僕たちは大学でどんなことを学んでいけばいいのか、どういう知識や能力を獲得していけばいいのだろうかということをお聞きしたいです。(本書18頁)

 世界の帝国主義化という大きな話から一転、自分たちの将来の選択に焦点を当てる。また、政治家の人間性が政治にどのくらい影響を及ぼすのかという、人間性と政治を結び付けた質問もありました。こうした発想というのはトップ0・1%の生徒たちならではなんでしょうか?

佐藤 他の高校生のことはよく分かりませんが、彼らと話しているとモスクワ大学の学生たちとの共通性を感じましたね。自分自身の選択と大きな物事は、どこかで関係していると捉えている。

加藤 なるほど。それと関係するのかもしれませんが、灘高生たちはヒューミント(人間関係から得る情報による分析手法)がなくてもオシント(公開情報による分析手法)だけで世界のリーダーの思考を分析できないかとも聞いていました。「できる」という答えを期待しながら訊いた高校生に対し、佐藤さんはこう答えていらした。

佐藤 というか、オシントから真実の姿をつかむためには実体験も必要になってくる。たとえば、政治エリートはこういう思考をするだろう、ロシア人はこういうことを考えるだろうという行動原理を知るためには、実際にその世界で仕事をした経験がないと難しい。

生徒 それは本とかを通じて得るのは無理なんですか?

佐藤 本を通じて得られることはもちろんあるし、その世界にいた人の話を聞いて分かることもあるよ。けれども、やはり限界がある。(同111頁)

 ここに私は彼らの不安を感じました。「『オシントだけで大丈夫。学問でロシアもアメリカも中国も理解できる』と佐藤さんに言ってほしい」という不安です。

佐藤 それは確かにあったと思います。しかし、こういうエリート予備軍がいるということは日本にとって決して悪いことではないのです。

加藤 そう思います。講義でもおっしゃっていましたね。日本ではエリートという言葉はあまりいい意味で使われないが、エリート層がきちんと生かされない社会は滅びる、と。

佐藤 ですが、実際のところ灘高の卒業生には、官僚になることができるのに官僚を選択していない人が結構多いんじゃないかという気がします。というのも、彼らは先が見えすぎてしまうので、東大文Ⅰから法学部に進んで3年生までに司法試験の予備試験に合格して法曹界に進む、もしくは高級官僚になるといったエリートの常道を歩むことへの抵抗感がある。学部時代に天文学や歴史や哲学を勉強してから法科大学院に入って法曹界に進むとか、理Ⅲから医学部に進んでも、ちょっと変わった感じの開業医になるとか、あえて一筋縄ではいかない選択をする人も多い。それは〈競争から降りる〉のとは違う。先が見えてしまう選択をしたくないのだと思います。

加藤 ああ、それで一つ謎が解けました。なぜ「イランとイラクの場所を正確に指し示せる国会議員は半分もいないよ」とか「選挙に出るならエリート高校の出身者より偏差値五〇台半ば以下の高校のほうが圧倒的に有利だ」と、なかば煽るようなことをおっしゃっていたのか。佐藤さんは日本国民として、彼らに今よりもっと積極的に国を背負う組織に入って活躍してほしいと考えているんですね。

佐藤 そうです。灘高生たちには「良民は官吏にならず」という思想がある。私はその殻を破ってほしいんです。

「佐藤さん、逃げてます?」

加藤 不安といえば、「ノブレス・オブリージュは自分たちに必要なのか。必要だとすると、それはなぜなのか」との質問がありました。でも、この時の返答が、私には「あれ、佐藤さん、ちょっと逃げてる?」と思えまして(笑)。

……女性問題で転ばないでね(一同笑)。つまらない女性に入れ込んで、人生のエネルギーをほとんどそこに注ぎ込んじゃって、研究に手が付かなくなる研究者の卵とか、あるいは、いつの間にかストーカーみたいになっちゃって、取り返しのつかない人生を送る官僚とか、結構あるケースなんだから。ほかの人は誰も言わないと思うから私が言っておくけど、そこは気を付けてください。(同77~78頁)

 彼らは「君たちは選ばれた存在なのだから義務を負え」と言われることに強い恐怖を覚えていて、犠牲を求められても何をしたらいいかわからないと感じている。その恐怖に対し、なぜ佐藤さんは、ずらした答え方をしたのでしょう。

佐藤 私に言わせれば、彼らはすでにノブレス・オブリージュを持っているんですよ。この質問をすること自体、そして私に会いに来るという合理的に考えれば無駄な事柄に時間を使うこと自体がその証しです。そこで私はこの質問を「今の僕たちに欠けているものは何でしょうか?」だと解釈し、あえて絶対に関心があるはずなのにそれまで一言も話題に出てこなかった異性の問題に振ったんです。そうしたら彼ら、顔が真っ赤になっちゃうんですよ(笑)。

加藤 なってましたか。

佐藤 なっちゃう。そこが一番弱いところだという感じで(笑)。

加藤 うーん。この佐藤さんの〈お兄ちゃん〉としての間合いの取り方は私には真似できないところです。

〈新しい物語〉の担い手として

佐藤 ところで、灘高生たちと話すことによって、日本の教育の矛盾は中学にあることがはっきりしました。今の日本の高校は中学のカリキュラムをやり直しているだけです。率直に言うと、ある程度の成績以上の生徒なら中学教育はスキップできる。事実、灘レベルの中高一貫校では、中学時から高校の教科書で学習させます。先生の母校である桜蔭学園もそうだったんじゃないですか。

加藤 ええ、そうでした。

佐藤 それによって彼らは「一般の中学校の生徒たちは三年間まったく無駄に過ごしているんじゃないか。今のシステムに従っていてもロクなことにはならないぞ」と達観することになる。

加藤 たしかに私の周りにも「じゃあ余った数年間は映画だけ見て過ごそう」と考えるような人がたくさんいました。こうした中高一貫校の生徒たちを批判するのは簡単ですが、達観するがゆえに彼らが獲得できているものもあるはずで、それを社会にどう生かすかが重要です。そういう生徒がつぶされずに育つシステムがもっと地域や学校にあっていい。

佐藤 だから僕は途中から灘高生たちを応援したくなったんですよ。

加藤 「遠藤周作が自分を劣等生だと言ってるのはウソだぞ」とか「受験勉強は必ず役に立つからバカにしてはいけないぞ」と言うことで彼らを肯定し、背中を押してあげていましたね。

佐藤 彼らを肯定すると同時に、私がこの講義で本当に伝えたかったことは何だったかというと、〈新しい物語〉を作る努力をしてほしいということなんです。人間は本質的に物語を好む生き物ですが、かつてあった社会主義のような〈大きな物語〉がポストモダン以降に消滅し、ぽっかり空いた隙間をグロテスクで反知性主義的な物語が埋め尽くそうとしています。だからちょっと危険な考えかもしれないけれど、彼らが一種の創作者になって、国と国民が共有できる新しい〈大きな物語〉を作ってほしいのです。

加藤 その物語の持つ虚構性もよく認識した上で、ということですね。

佐藤 そうです。その意味においては今のイギリスが格好の反面教師になります。党議拘束を掛けず、ポピュリズムに流されてしまったことで、イギリスでは本来起きないはずのEU離脱という選択が起きてしまった。スコットランドの独立を阻止するところまでは情報操作とエリート層の画策でうまくいったけれど、今回はそれが機能せず、イギリス政治はパニックを起こしています。では、イギリスのような状況を作らないためには何をすればいいか。やはり国民が共有できる物語が必要になってくる。それは安倍首相の唱える一君万民論のような完全に消費し尽され、話している本人すらどれくらい信じているのかわからない、そういう古い物語では決してないのです。

〈人間対人間〉だから伝えられること

佐藤 また今の地政学ブームの中で私は、地政学の本を書いたり、発言したりしていますが、それは地政学の論理構成を理解し、さっさと脱構築を図らなければならないと思っているからです。あれはナチスのイデオロギーですから。

加藤 日本人を戦争に導いた思想家・大川周明の言説や文部省のイデオロギー文書「国体の本義」を読み解く本を出されたのも、脱構築を促すためですね。

佐藤 おっしゃる通りです。ソ連崩壊に際してロシア人エリートが依拠した論理は啓蒙の思想であり疎外論でした。そしてバルト三国のエリートたちが依拠した論理はナショナリズムでした。しかし双方とも自分たちが依拠した論理がインチキだと分かった上でそこに乗っかっていた。逆に言うと、インチキだと分かっているから歩留(ぶど)まりがある。

加藤 民族のナショナリズムはエリートによって人為的に作られるものである、という説が講義に出てきました。であるならば、そのことを認識している国が操作すれば一定の制御が可能だけれども、日本はそれを観念や情緒でやってしまおうとするから制御不能に陥る可能性が高いということになる。佐藤さんにもそれを懸念するお気持ちがあって……。

佐藤 その気持ちは非常に強いです。

加藤 情緒的なナショナリズムというのは、まさに反知性主義につながります。反知性主義にはどう対応すればいいのか。灘高生たちは講義の中で繰り返し佐藤さんに尋ねていました。

佐藤 この問題は彼らにとって非常に切実なんですよ。一番大きな不安材料かもしれない。自分たちが大人になった時、反知性主義が「理屈じゃない。とにかくムカつくんだ」といった感じでこちらに向かってくる気配を確かに感じているんです。

加藤 そこで佐藤さんの出した喩え話がすごく面白かったんですが。

 たとえば、中学校を卒業したかどうかも分からないようなチンピラに、西宮(にしのみや)あたりの駅前でからまれて、ナイフを突きつけられたらどうするかと考えてみる。筋を通して理路整然と話をして解決するのか、有り金を渡して逃げちまったほうがいいのか、あるいはいきなり「先輩みたいな人が好きなんです!」と抱きついて、訳(わけ)わからない感じで丸め込むのがいいのか(笑)。いろんなやり方がある。(同144~145頁)

 最後のやり方は絶対にエリートには思いつかない(笑)。

佐藤 これ、実は元ネタがあるんです。鈴木宗男さんが初めて選挙に立った時、車から降りて鈴木さんに近づいてきて、いきなりビンタを張った人がいた。すると鈴木さんはその人の手をグッと握って目を見つめ、「鈴木宗男です」。

加藤 すごい……。

佐藤 横にいた松山千春さんは「腰が抜けた」と言っていました(笑)。不良に抱きついてっていうのはその時の鈴木さんのイメージなんですよ。

加藤 相手の呼吸に飲まれないようにするというのは、エリートの一番苦手とするところですものね。佐藤さんが安倍首相を例に挙げて、「反知性主義は決断主義だ」と言い換えていらしたのが印象的でした。安倍さんはよく「絶対に」「確実に」と言いますが、スタンフォード大学のエイモス・トヴェルスキー教授は「確実に」と言われた時に人間の選択がどうずれるかを研究しました。「確実に」と言われた時に人は騙されるんです。ですから、そこで騙されない、決断主義をステキだと思わないための方策を考えることはすごく重要だと思います。

佐藤 そこで必要なのが文学的なセンスを持つことですね。

加藤 じつに大切です。「小説を通じて代理経験を積んでおきなさい」と何度も強調されていましたね。ヒューミントが苦手で、オシントのみで世界を知りたいと思う高校生にとって、違う人生になりきってみる経験は不可欠です。

佐藤 たとえば一生懸命勉強して外務省に入ったとしても、御殿女中のイジメみたいな理不尽極まりない話がいっぱい待っている。でも、そんな状況をあらかじめ小説で読んでおいたり、私から聞いていれば、対処のしようがあります。

加藤 人間対人間のコミュニケーションでしか伝えられない知識を、エリート高校生たちに伝える空間となったこの講義には大きな意義がありますね。また、こうしたところから反知性主義に対抗する有効な手段も生まれるのだと思います。

新潮社 波
2016年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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