全作品、違う魅力にあふれる驚異のシリーズ

レビュー

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おおあたり

『おおあたり』

著者
畠中, 恵, 1959-
出版社
新潮社
ISBN
9784104507214
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

全作品、違う魅力にあふれる驚異のシリーズ

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)

 第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した畠中恵の小説デビュー作『しゃばけ』が刊行されたのは、二〇〇一年十二月のこと。お江戸・日本橋の大店を舞台に、病弱な若だんなと彼を守護する妖怪たちが力を合わせて事件を解決する。このユニークな設定と、柴田ゆうのキュートなイラストがウケてシリーズ化され、さらに人気が爆発。二度にわたってテレビドラマ化され、累計発行部数七〇〇万部以上(新潮文庫版だけで五三〇万部以上)の大ヒット作となっている。

 シリーズ開幕から数えて、今年でめでたく十五周年を迎えるわけですが、それを記念するように、三月にはビッグニュースが飛び込んできた。新設された吉川英治文庫賞の第1回受賞作に「しゃばけ」シリーズが選ばれたのである。

 この賞の対象は、前年度に「シリーズの五巻目以降が一次文庫で刊行された小説のシリーズ作品」(ただし、すでに吉川英治文学賞を受賞している作家の作品は除く)。編集者、書評家、書店員合計五十人の投票で候補が選ばれ、その中から再度の投票によって受賞作が決まるんですが、公式サイトに発表された候補(全部で十二シリーズ)を見ると、赤川次郎「三毛猫ホームズ」、内田康夫「浅見光彦」、西村京太郎「十津川警部」、綾辻行人「館」など、錚々たるシリーズが並ぶ。それら超強力なライバルをおさえて栄冠を射止めたのは、「しゃばけ」シリーズが、いまいちばんホットなシリーズとして出版界から高く評価されている証拠。

 贈賞式の挨拶で、著者は、「(新人賞以外の)文学賞を受賞するのはこれが初めて。自分は賞には縁がない作家だと思っていたのでたいへんうれしい」と語っていたけれど、記念すべき第1回の受賞者になるという“おおあたり”を引き当てたわけで、これ以上ないかたちでメモリアル・イヤーがスタートした。

 あらためて概略を紹介しておくと、単行本は、二巻目の『ぬしさまへ』以降、年に一冊のペースで着実に巻を重ね、この七月刊行の『おおあたり』で十五冊目。シリーズ・タイトルの「しゃばけ(娑婆気)」とは、“俗世間における、名誉や利得などの様々な欲望にとらわれる心”のこと。人間界に渦巻く欲や情と、妖怪たちとの関わりが物語の軸になる。

 主人公は、日本橋の廻船問屋兼薬種問屋・長崎屋の跡取り息子、一太郎。生まれついての虚弱体質で、すぐに体調を崩して寝込んでしまうため、めったに外出もできないが、ひとつだけ、他人にはない力がある。祖母が大妖(狐の妖(あやかし)、皮衣)だったため、妖怪や神様の姿が見え、話をすることができる。人間の姿に化けている手代の佐助と仁吉をはじめとするおなじみの妖怪たちの力を借りてさまざまな事件を解決してゆくというのがシリーズの基本。江戸版「アダムス・ファミリー」または「怪物くん」、あるいはぜんぜん漫遊しない「水戸黄門」(手代コンビが助さん格さんの役どころ)みたいな構図ですが、ミステリー的には安楽椅子探偵もののバリエーションとも言える。実際、最初のうちは“大江戸人情推理帖”なんてキャッチフレーズもついてましたが、だんだん物語の幅が広がり、“日常の謎”や、あんまりミステリーっぽくない出来事が描かれる話も増えてくる。

 一方、妖や神々を中心に見ると、日常に不思議なものが同居する“エブリデイ・マジック”型のロー・ファンタジー(現実からの飛躍度が低いファンタジー)に分類される。「となりのトトロ」や、佐藤さとる「コロボックル」シリーズなんかの系統ですね。それらと同じく、「しゃばけ」の江戸では人間の暮らしの中に妖が同居して、わいわいがやがや楽しく過ごしている。彼ら、キャラの立ちまくった個性的な妖たちの魅力が人気の秘密。

 長崎屋の手代として仕える二人は、ともにお稲荷様から使わされた妖で、六尺近い偉丈夫の佐助は犬神、優男の仁吉は白沢(中国の神話に出てくる幻獣)。そのほか、身の丈数寸(たぶん十数センチ)の小鬼で、家をきしませて「きゅわきゅわ」と鳴く“鳴家(やなり)”とか、離れに置かれた古い屏風が変じた付喪神の“屏風のぞき”がレギュラー出演者。さらには鈴の付喪神の“鈴彦姫”、貧乏くさい坊主の姿の“野寺坊”、貧乏神の金次、獺、見越の入道、蛇骨婆……。神様である市杵嶋比売や品陀和気命(生目神)は、時間を操り、現実を自在に変えてしまう力を持つ。

 人間の主要登場人物では、一太郎の父親で長崎屋の主人の藤兵衛、美しい母・おたえ、腹違いの兄・松之助、それに、菓子屋の跡取り息子なのに、なかなか菓子作りが上達しない栄吉(まんじゅうがとくに不得手)、腕利きの岡っ引き、日限(ひぎり)の親分こと清七などなど。

 こういう多彩なキャラがわいわいやってるだけでもじゅうぶん楽しいが、長寿ドラマ的なマンネリに陥らず、毎回趣向を凝らして新しい試みに挑戦しているのもすばらしい。最初の『しゃばけ』しか知らない人が最近作を読むと、巻ごとの振り幅の大きさに驚くんじゃないですか。僕自身、九冊目の『ゆんでめて』を読んだときは、驚天動地のラストに「こ、こんなのあり?」と仰天しました。よくこんなこと考えるなあというか、見上げたチャレンジ精神。巻をまたいだ伏線の回収など、緻密な計算も見てとれる。

 もっとも、著者自身は、あらかじめきっちり設計図を引いてから書きはじめるタイプではないらしい。女優の相武紗季との対談では、こんな風に語っている。

“私の場合は、書き始める前からすべてを完璧に決めているわけじゃないんです。何となく、こういう雰囲気のお話になるだろうという、物語の輪郭みたいなもの、おおまかなプロットは作っているんですが。ただ、キャラクターたちが、私から少し離れて各自勝手に動き始めることもあります。ここでこう動いてくれたら都合がいい、そういう方向に登場人物を追い込もうとするんですけど、自分たちの行きたいように進んでいくこともあって。「好き放題やりたい放題はやめてくれ~」としかりたくなることもあります(笑)。最初はそんなつもりじゃなかったのに、急に存在感を増していくキャラクターもいたりして、面白いですよ。逆に、今回は登場させようと決めていたのに、書き終えたときに、あれそういえばあの子が出てこなかった、ということもあります。不思議です”(〈波〉二〇一二年七月号より)

 キャラクターのこういう“自主性”が「しゃばけ」シリーズの意外性の秘密かもしれない。

 さて、最新刊となる『おおあたり』は、題名の通り、いろんなタイプの大当たりが通しテーマになる。

 第一話「おおあたり」は菓子屋の栄吉が主役。よみうり(瓦版)の占いが「世に“大当たり”するものあり。来るのは幸か不幸か、お楽しみ」と予言したとおり、栄吉の考案した新商品の辛あられが大当たりをとるが、栄吉はそれがもとで、結婚か修業か、人生の決断を迫られることに……。

 続く「長崎屋の怪談」は、落語が発端になる。悪夢を食う獏が、よく恐ろしい夢の中で出くわすのが、“大あたり”という言葉なのだと前置きして、怖い夢に悩まされる男の怪談噺を語りはじめる場久師匠。やがてそれが、意外な人物の失踪事件に発展し、大騒動が持ち上がる。

「はてはて」に出てくるのは、大当たりと言えばやっぱりこれ!の宝くじ。貧乏神の金次が上等の菓子を山と抱えて歩いていたところ、横から飛び出してきた男にぶつかられて菓子が台なしに。男は詫びのしるしにと増上寺の富札を押しつけて去るが、なんとその札が三百両の大当たり。ところが同じ富札がもう一枚出現し……。

「あいしょう」は、一太郎が五つの頃に関わった誘拐事件を描く(本書の中では)番外編。大妖に頼まれて、心ならずもコンビを組んで一太郎の守り役をつとめることになった仁吉と佐助の微妙な関係が物語の焦点になる。

 最終話「暁を覚えず」は、大切な客人を海辺で接待しようと、一太郎ががんばる話。そのために使うのが猫又の妙薬“暁散”。飲むとまる一日寝てしまうが、次の一日は元気に過ごせるのだという。一方、海に行きたい妖達は、お供の三人をまんじゅうのくじ引き(栄吉がつくった以外のまともなまんじゅうを食べたら当たり)で決めようとする……。

 とまあ、いろんなタイプの“おおあたり”が一冊の中で変奏される。読者の予想は裏切っても、期待はけっして裏切らず、今回もきっちり楽しませてくれる。

新潮社 波
2016年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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