『イエスの幼子時代』
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過去の記憶を失い、入国が許される新世界 ノーベル賞作家の新境地
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
宗教画ふうのタイトルで、過去を遡る壮大な歴史小説のようだが、架空の新大陸を舞台にした一種のディストピア小説である。
父と子というより祖父と孫にしか見えない二人が新しい土地で生活を始める。男はシモン、少年はダビードという名前を与えられ、母語でないスペイン語の教育を短期間、受けてきた。二人に血縁はなく移民船の中で知り合っただけの関係だが、シモンは幼いダビードの面倒を見てやり、生き別れになった母親探しを手伝う約束もしている。
移民センターを訪れた二人が直面する現実は味気ない。あてがわれた部屋の鍵は見当たらず、食べものといえばマーガリンを塗ったパンと水だけ。職員の若い女性は、幼い子を連れたシモンに野宿を指示する。
いまこの瞬間、難民や移民で同じような目に遭っている人がいるかもしれないと思わせるディテールの確かさだが、現実世界と違うのは二人に過去の記憶がないことだ。どこから来たかも、なぜ移民船に乗ったのかもわからない。どうやらこの新世界では、過去の記憶を失ってから入国が許されるようなのだ。
作中に出てくる言葉を借りれば「辺土(リンボー)」を思わせないでもないこの新世界で、人々はそれなりに親切で、過剰な欲望も持たない。昔の生活習慣が捨てきれず、性欲も向上心もあるシモンは異端で、新世界に対して彼が抱く違和感は読者の違和感でもある。だが、過剰な機械化、過剰な動物食を免れているこの土地は、ある意味、人類の理想が形になったものとも言えるのだ。
物語の鍵になる「母親探し」は読者の意表をつく形であっさり解決するが、幼いダビードを守る使命を負ったシモンは次々、困難に直面し、新たな場所へと向かわざるをえない。
人間の本質を露わにするクッツェーの新作からは様々な寓意が読み取れるが、これという正解はなくそこがまた面白い。続篇は『イエスの学校時代』になるらしい。