『未来を覗く H・G・ウェルズ』
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未来を覗く H・G・ウェルズ 小野俊太郎 著
[レビュアー] 長山靖生(思想史家)
◆進歩と人の変質を見通す
ジュール・ヴェルヌとともに「SFの父」と呼ばれるH・G・ウェルズ(一八六六~一九四六年)は、ひとつの惑星そのものをも破壊する核兵器の危険性をいち早く描き、戦争のない社会の実現を提唱した思想家でもあった。本書は、そんなウェルズが描いた多様な「人類の未来」像の意義を分かりやすく説き明かしている。
ヴェルヌが地底や海底、さらには宇宙空間に至る世界への進出と、それを可能にする機械技術を描いたとすれば、ウェルズは未来という時間と人間そのものの変質を描いた作家だった。
『タイムマシン』は時間旅行物の原点だが、この作品には、格差拡大の果てに人類が二つの種に分化した未来が登場する。しかも、どちらの種族も知的文明を失い、退化している。また、『モロー博士の島』では遺伝子操作や生体改変が、『透明人間』には、透明化(究極の匿名化)による倫理観の喪失や監視社会の問題が描かれていた。さらに『宇宙戦争』では、高い知性を持ちながら人類とまったく意思の疎通のない宇宙人を描いている。
科学文明の進歩と浸透は、社会のあり方を変化させただけでなく、人間存在や人間観自体をも大きく変化させた。なかでもウェルズが強い関心を寄せたのは進化論と優生学だった。
進化論は退化絶滅を、優生学は劣等形質の排斥という問題を裏側に抱えていた。そして進化論は、神の不在をも意味した。人間が神に似せて創られた特別な存在ではなく、自然淘汰(しぜんとうた)の末にたまたま生き延びた種族にすぎないなら、人間が道徳的である必然性はなく、来世もないことになる。本書を読んでいて強く感じたのは、この「来世がない」という感覚だ。
ウェルズにとって(あるいは初期のSFにとって)未来というのは来世の代替物だったのではないか。「未来」に仮想されるユートピアとディストピアは、「来世」にあるとされた天国と地獄の変形なのではないだろうか。
(勉誠出版・2592円)
<おの・しゅんたろう> 文芸評論家。著書『スター・ウォーズの精神史』など。
◆もう1冊
P・コタルディエール著『ジュール・ヴェルヌの世紀』(私市保彦監訳・東洋書林)。未来を見続けた作家の世界とその時代を考察。