明かされた“つか流執筆法”の衝撃と真実――つかこうへいとは、何者だったのか? その1

対談・鼎談

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つかこうへい正伝 : 1968-1982

『つかこうへい正伝 : 1968-1982』

著者
長谷川, 康夫, 1953-
出版社
新潮社
ISBN
9784103397212
価格
3,300円(税込)

書籍情報:openBD

明かされた“つか流執筆法”の衝撃と真実――つかこうへいとは、何者だったのか? その1

1左から長谷川康夫さん、水道橋博士さん、樋口毅宏さん

『蒲田行進曲』『熱海殺人事件』など傑作を生み出した劇作家・演出家でありながら、虚実入り混じる伝説に彩られた演劇人、つかこうへい。
彼の真の姿を描き出した評伝『つかこうへい正伝 1968-1982』が刊行され、その驚愕の内容に芸能界、小説界を代表する“つかフリーク”の2人が著者のもとに集結。“正史”を検証する鼎談が行われた。議論は白熱沸騰、『波』に発表された5000字の記事に、今回3人による約1万4000字の超弩級加筆を経た、計1万9000字の完全無欠版が公開される!

■幻のたけし×つかこうへい対談

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長谷川康夫さん(脚本家・演出家)

水道橋博士(以下、博士) 『つかこうへい正伝 1968-1982』は、つかさんから大きな影響を受けてきた僕と樋口さんにとって、待ちに待った本でした。ここまで束(つか)の厚い本で出たかーと、“つか”だけに(笑)。衝撃的だったし、しかも今まで信じてきたものが、ことごとく覆されているんですよ!
長谷川康夫(以下、長谷川) 博士と樋口さんは1970~80年初めの「つかブーム」以降の世代ですよね。何でまた、つかファンに?
樋口毅宏(以下、樋口) つかさんの著作から入ったんです。そこによく登場する「お調子者の長谷川」もずっと前から読んで知っていました。
博士 長谷川さん、『つかへい腹黒日記』のメインキャラクターの一人ですもんね。
樋口 今日は感激です!あの長谷川さんにお会いできて……。
長谷川 「あの」ってのが、どういう「あの」なのか、ちょっと引っかかるけど(笑)。
樋口 『腹黒日記』を読んだなら、誰もが思う「あの」です(笑)。……なんて言ってますけど、僕は遅れてきたつか世代なので、周りにつかさんが好きな人がいなかったんです。
博士 樋口さんが僕の家に来たときは驚いてたよね。
樋口 博士の本棚につかこうへいの単行本が並んでいるのを見て「宝の山がある。仲間だ!」と異常に食いつきました。
博士 僕は樋口さんより約10歳年上だけど……。
長谷川 僕がさらに10歳上か。
博士 ええ。だから「つか芝居ブーム」時は中学、高校で、ブームには間に合ってないんです。僕も本から入ったクチですね。その後の漫才ブームでツービートが出てきますが、ブスの悪口を延々言ってから客席を指さし、「笑えるか、そこ?」という台詞に衝撃を受けた。でも、同じことをそれ以前につかさんがやってたと『つか正伝』で知り、そのあたりに衝撃を受けました。僕の記憶を書き換えないとダメだって。
長谷川 『熱海殺人事件』で「ブスに生きる権利はない!」と言い放ってすぐ、「お前のことだよ」。指されたお客さん、喜ぶんだよね。
博士 それは“あえてブス殺しの汚名をきて”やってたわけですね。80年代初頭に起こる空前の漫才ブーム、あの時の漫才師は、皆、その前夜にカルチャーショックを受けているんですね。シティボーイズしかり。コント赤信号なんて、ほぼ、つかこうへいのコピーですものね。
長谷川 それはどちらも、演劇の世界からお笑いに行った連中だからね。コピーだなんていうと怒るだろうけど、少なからず影響されてはいただろうな。
博士 あの頃、82年かな、つかさんが雑誌『スタジオボイス』のインタビューで「漫才師なんて、教養のないただのサルだ」と言ってたのを記憶してて。で、たけしさんもその雑誌の中に出て「オレがやってることって、言葉を知らないだけで、つかこうへい位のことはやってんだけどな」って仰ってるんですよ。ずっと後になって、たけしさんと飲んでたら「オレ、明日つかこうへいと対談するんだよ、知ってる?」って言うので、そのインタビューのことを話すと「対談やめた!」って(笑)。結局対談は流れた。両雄並び立たずだったんだね。あれは惜しいことをしました。
樋口 それは博士がツブしているんですよ!(笑)
博士 申し訳ない(笑)。でも、たけし信者としては、そういう因縁があるんで、僕はつかさんの“隠れファン”としてバレないようにずっと読んでました。実際、僕らが、たけし軍団に弟子入りして、すぐに修行で浅草フランス座に行かされて、初めてコントの台本を書くようになるんだけど、それは完全につかこうへいイズムの台本そのものでしたね。

■カリスマに駆け上っていく過程

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水道橋博士(浅草キッド)

博士 『つかこうへい正伝』を読むとわかるけど、長谷川さんは、もともとつかさんを知ってたり、あるいはその舞台を観ているうちに惹かれて行って、その門を叩いたというわけでもないですもんね、完全な巻き込まれ型ですよね。
長谷川 まぁ、どこの誰とも知らない変なヤツと19歳で偶然出会って、その24歳の男が作ったという舞台を何の因果か観てしまって、「なんだ、これは!」と腰抜かしたっていうのがきっかけですからね。
たぶん後期の人たちと僕らの時代の人間との一番の違いは、僕らは皆、まず作品から入ったところじゃないかな。“あの”つかこうへい「先生」のもとで芝居がやりたい、というのとは全然違う。当時つかさんは、早稲田大学の「暫」という劇団で自分の芝居を作っていたけれど、世間的には全くの無名で。その舞台をたまたま観たときに、「どうやって、こんなものが出来上がっていくのか、その現場に関わってみたい」ってのが始まりだから。そこから、間違いなく天才ではあるけれど、まだ二十代半ばの兄(あん)ちゃんが天下の「つかこうへい」という存在になっていく過程をほぼ10年にわたって、全部そばで見てきているわけですよ。その面白さっていったらないのね。
樋口 わかります。階段を駆け上がっていく高揚感……。
長谷川 その頃からつかさんのことを知っている僕たちはどうしても、「鼻持ちならない本家意識」みたいなものがあるわけ。いやらしいヤツら(笑)。だから、89年に演劇活動を再開した以降の、つかさんの芝居に対する客観的な評価を、僕らは出来ないわけですよ。やっぱり自分たちの関係性と比較してしまうから。
博士 だから『つか正伝』は「1968−1982」に限定しているんですね。

■マゾヒスティックに従っていく

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樋口毅宏さん(作家)

樋口 つかさんが亡くなった時、あまりに世間の反応が薄いんで僕と博士で怒っていたんです。つかさんが亡くなったなら、国民が喪に服すぐらいじゃないとダメだろうと。きちんとした追悼本が出ないのもおかしいですよねって。
 こう言っては何ですが、つかさんが不幸だったと思うのは、晩年はヒット作に恵まれてなかったことです。『長島茂雄殺人事件』の映画化が頓挫したり、つかさん作のキリンビールのCMで、主役の勝新が「俺もうパンツはかねえ」って大麻で捕まったためオンエアが1日で終わってしまったり……。そうした機会を逃がし続けてしまったために、同年代と、つかこうへいの話をしたことがない。つかさんを知らないなんてもったいない。人生損してる。
博士 しかし、没後から『つか正伝』が出るまで5年かかってますが、かなりの期間がありましたね。つか第1世代である長谷川さんも、当時のことを書くのに躊躇してた部分があったんですか。
長谷川 うーん、あえて残す必要はない……なんて思いはあったかな。
樋口 つかさんが自分の芝居を記録に残さなかったように。
長谷川 そう。芝居なんてものは、その場限りで消えてしまうからいいんだってね。それに僕が語れるのは、さっき言ったように、せいぜい劇団解散の82年ぐらいまでで、実際つかさんのキャリアはそれからの方がうんと長い。だいたい国民が喪に服すような存在に対して(笑)、僕ごときがトータルでその人間や人生を語るなんて、畏れ多い。
博士 いや、結果、相当語ってますよ! 『つかこうへい正伝』、576頁ですよ! でもこの話は、純粋に教祖に信者が洗脳されるカルト教団の話だなと(笑)。これだけ、演出家と劇団員は会話できないのかっていうぐらい。たけし軍団も似たようなものですけど。
長谷川 うーん。ただね、僕らはつかこうへいという存在を、どこかできちんと対象化して、批評や批判の目で見ていた部分が確実にあるから。その理不尽な関係性を、逆に皆で楽しんでるようなところがね。教祖に帰依するような感覚なんてさらさらないし、洗脳された信者なんて言われたら、みんなで大笑いすると思う。
ただし、この人の作った舞台に立って客の反応を浴びたときの快感は、決して他では味わえないものなんだなぁ。その一点において、役者たちはつかこうへいにマゾヒスティックに従っていく自分を認めてしまう。この飛び抜けた才能に気持ちよく芝居を作って欲しいから(笑)。そのかわり、いったん稽古場を出ちゃえば、後はクソミソ(笑)。だから劇団解散後は、僕たちもつかさんに対して冗談を言ったり、「バカなこと言わないでください。違いますよ!」なんてことを平気で言えるようになってます。

■『つかへい腹黒日記』の「真実」

樋口 僕たちにとってつかさんといえば、とにかく『つかへい腹黒日記』。虚実入り混じった内容が面白くて面白くて。その面白さを伝えたくて、博士が編集長の『メルマ旬報』で「ひぐたけ腹黒日記」を連載しているほどで、どれだけ影響を受けているか……。
博士 僕は『お笑い男の星座』っていう本の「2」の方のオープニングで、担当編集者とのやりとりを全部オマージュで書いてるんですよね。
樋口 当時博士と面識はなかったですけど、あれを読んですぐに「うわぁ、『腹黒日記』やってる!」と。
博士 『腹黒日記』での見城徹さん(現・幻冬舎社長。当時は角川書店でつかこうへい担当)とやってるやりとりを再現したの。のちに見城さんに『お笑い男の星座2』を渡したら、見城さんは「君たちの才能を見くびっていた」って土下座までして褒めてくれて。ただ「最初のところは『腹黒日記』のオマージュです!」っていったら「そうなの?」って言ってましたけど(笑)
樋口 見城さんは『腹黒日記』の中で和田誠さんに一番イラスト書いてもらってる編集者なのに、わからないんですか。
長谷川 えーっ、僕だってわからなかった(笑)
博士 そうですか!?
長谷川 でも、『腹黒日記』に編集者を含めつかさんの周りの人間がいっぱい出てくるのは、つかさんの周りにいた人たちが、やっぱり実際に面白かったっていうのがあるよね。見城さんは見城さんで、つかさんの期待する「見城徹」を演じてたところがあったと思う。
樋口 『腹黒日記』の中でつかさんが見城さんの家に遊びに行ったら、見城さんが別れ話で揉めていて、包丁を持って追いかけ回されて、「何やってんだバカ! 血迷うんじゃないよ!」って怖いんだけど、つかこうへいにそれを見せつけることができたっていう喜びがないまぜになって、さあどうだと言わんばかりに腹を突き出したっていう……。
長谷川 全てフィクションだけどね(笑)。
樋口 あーーー!! それは知りたくない!
博士 そうそう、その『腹黒日記』を、実は長谷川さんが書いていたということを、僕らは『つか正伝』を読んで知るんです。
樋口 大衝撃ですよ! 僕は『腹黒日記 PART2』の、税務署から逃れるためにクルーガーランド金貨を事務所のトイレの貯水タンクに隠してたっていう話が大好きで。金貨が最も美しく見えるのは水に浸かっている瞬間なんだって。
長谷川 全くのフィクションね(笑)。
樋口 えーー!!
長谷川 当時も皆、信じてたらしく、事務所に来た人間はまずトイレに行きたがる。で、必ずガッカリして出てくる(笑)。
樋口 どうせ私を騙すなら、死ぬまで騙して欲しかった……。
長谷川 樋口さんの話でいうと、渋谷にあった「つかこうへい事務所」に見城さんが来て、「つかさん、昨日、女とモメちゃって、包丁持って刺されるかと思いましたよ!」。たぶんそれぐらいは言ってるんだよね。
樋口 安心しました!
長谷川 見城さんもそこで「包丁」を出してくるから、つかさんも喜んで書く。次号でそのホラ話が登場すると、“出演”してる見城さんも「書いてくれましたか」って大喜びになるわけ。
博士 編集者冥利に尽きますね。あと、『腹黒日記』では道玄坂で必ずヤクザと麻雀やってますよね。
長谷川 やってないやってない(笑)。麻雀はほとんど決まったメンバーで、それも宮益坂(笑)。もちろんヤクザなんかとやるわけがない(笑)
樋口 つかさんがヤクザの連中と麻雀やってると、徹マンに次ぐ徹マンで、ヤクザのこめかみに注射針の痕があるっていうの、僕は本気で信じてましたよ!

■つか流・原稿執筆法

博士 『つかこうへい正伝』で何度も出てきますが、長谷川さんと一緒につかさんの原稿書きを任される、高野嗣郎さん。どんだけ文才あるんだろうって。
長谷川 そこは正しい。人間的にはかなり問題のある奴だけど(笑)。高野はある部分のパートを書かせたら本当に達者で。樋口さんがきっと大好きなハチャメチャなシーンは、高野の持ち場なんですよ。
樋口 つかさんが人をぶん殴って、そいつが鉄の扉にぶち当たって、頭がい骨がグキッと音を立てて陥没し、鼻骨が割れて、吹き出した鼻血が壁一面を真っ赤に染めて、「グエー!」とかっていう(笑)。
長谷川 そうそう(笑)、そういう部分は高野のパート。
博士 『腹黒日記』を読んだ人ならわかるんだけど、3巻目に入って明らかに失速して面白くなくなるんですよ。
樋口 テンションが下がるんです。「1・2」と「3」の間は出版時期としても何年か空くんですけどね。
博士 違う人が書いてるんじゃないか説が固まっちゃったよ。
長谷川 いや、僕の本の中で、そこはかなり誤解されてるみたいだから、ちゃんと説明しておくと……僕とつかさんは、世間を騒がせた作曲家たちのような関係では決してなくて(笑)。まず、演出家と役者、という関係性が前提にあるんです。つまり稽古場で台詞を言わされるのと、同じ感覚で文章を書かされるわけ。
博士 つか芝居は「口立て」といって、つかさんが稽古場で台詞を役者に伝えながら芝居を作っていくんですよね。
長谷川 まぁ原稿の場合は設定の説明があって、「で、○○がこういうこと言うんだ」とつかさんが語りでやってくれる。それを僕が文章にしていくんだけど、そのとき自分は「つかさん」なのね。絶えず、つかさんがやりたがっていることを考えて表現していく。役者が台詞を声に出すのと一緒。そしてその原稿につかさんから大量に赤字が入る。またそれが最高に面白いのよ。少し近いのは、漫画家とアシスタントの関係かなぁ……つかさんの「ネーム」に僕らが背景を足すような……例えばね、例えば。
博士 最後に目だけ入れると噂された、さいとう・たかをプロだ。でも『漫勉』を見てたら、ちゃんと書いていたな、さいとう先生(笑)。
長谷川 それで書いたものをつかさんに渡すと、バッサバッサと赤字で消されていく。返ってきた原稿を見ると、横に全く読めない字でくちゃくちゃ書いてあるわけ。最初のうちは高野と「これ、何て書いてあんだ?」って必死で解読して、解読した途端に2人で爆笑するんです。それだけつかさんの書いたものが最高に面白いんだよね。それをまたきちんと文章として形にしていく。そういう作業になる。
博士 うわー。ホントに漫画の制作みたい。
長谷川 つかさん、かなりあとになって「オレの本なんて全部長谷川が書いてたんだ」みたいなことよく言って、周りは驚いてたけど、本当にそうなら言えないよね。つかさん自身も、稽古場で役者相手にして芝居作るのと同じ感覚だったと思う。いやぁ、どうしてもうまく説明できないんだよなぁ。この関係性は僕らにしか分からない。ただ、「つかさんの本はオレが書いてた」って、長谷川が『つかこうへい正伝』で告白した、なんて誤解だけは勘弁してもらいたい。

■文章はつかこうへいに学べ!

博士 時代の寵児、超売れっ子の本はこうやって出来上がるんだっていうシステムを見た気がします。思い出すと、当時たけしさんも同じようなことをやってて、いっとき小説で直木賞をとるって宣言したんです。
樋口 今、それを言おうと思ったんですよ。たけしさんもそういう書き方をしてるって。
博士 殿が『あのひと』という小説を出したときは、太田出版の高瀬(幸途)さんとほぼマン・ツー・マンで書いたんです。会話の部分は全部、本人がやってたけど、情景描写はつかこうへいの『ロマンス』の和歌山の描写を長谷川さんが手がけたのと同じように、全部高瀬さんが書いてましたよ。たけしさんも「情景描写は書けねえんだよ!」って言いながら。それでも直木賞とるって言ってましたからね。
長谷川 確かにつかさんからも、あの人流の言い方で、「オレは地の文が書けねえからよ」ってのはよく聞いた。でも書けるんだよ、ちゃんと。面倒臭がってやらないだけ。湧き上がってくるイメージに文章を書く作業が追いつかないからってのもあると思う。稽古場での「口立て」のスピード感を考えたら、そりゃ、もどかしいんだろうな。
博士 村松友視の『時代屋の女房』の原稿が残ってて、編集者は見城徹。もともと村松友視は中央公論社の編集者で、むちゃむちゃ優秀じゃない。『海』の編集部にいて。なのにどんだけ赤入れするんだっていうぐらい見城さんの赤字が入ってて……。
長谷川 つかさんの原稿に限っては、編集者が手を入れるということはほぼ100%なかった。それはなぜかというと、芝居作りと同じで、その前に何十稿と書き直して、もう直すところがない状態になっているから。ある意味、僕たちが編集者の立場をやっていたのかもしれない。
博士 『つかへい犯科帳』『腹黒日記』の夕刊フジの連載って、毎日〆切じゃないですか。それはもう漫画家システムじゃないとできないですよね。
長谷川 漫画家システムかどうかは微妙なところだけど、その中で、僕らがかなり有能なアシスタントだったっていう自負はある。いや、また「鼻持ちならない」自慢です。はい(笑)。たぶん僕とか高野が手伝ってたときが、つかさん、一番つかさんらしい文章だったんじゃないかって……。まぁ、そのぐらいの勘違いはさせてください(笑)。
樋口 でも、やっぱり、つかさんの文章は本当に素晴らしいですよ。僕は『ロマンス』『蒲田行進曲』といった小説より、虚実入り混じった『腹黒日記』『男の冠婚葬祭入門』などのエッセイが好きなんですけど、文章に無駄がなく、スピード感があって読みやすい。「難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを面白く、面白いことを深く」が全部出来てる。上手さを分からせない上手さなんです。僕はつかさんの本で文章を学びました。高尚で難解な蓮實重彦の本を読んでも文章なんて絶対上手くならないから! エリート臭をプンプンさせて、わかるやつだけわかるなんて文章を書いてもどうしようもないんですよ。
長谷川 ……このトーク、『波』に載るらしいよ(笑)。
樋口 今のはカットでお願いします!

新潮社
2016年8月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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