流布してしまったペンネームの“美談”――つかこうへいとは、何者だったのか? その2

対談・鼎談

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つかこうへい正伝 1968-1982

『つかこうへい正伝 1968-1982』

著者
長谷川 康夫 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103397212
発売日
2015/11/18
価格
3,240円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

流布してしまったペンネームの“美談”――つかこうへいとは、何者だったのか? その2

1左から長谷川康夫さん、水道橋博士さん、樋口毅宏さん

『蒲田行進曲』『熱海殺人事件』など傑作を生み出した劇作家・演出家でありながら、虚実入り混じる伝説に彩られた演劇人、つかこうへい。
彼の真の姿を描き出した評伝『つかこうへい正伝 1968-1982』が刊行され、その驚愕の内容に芸能界、小説界を代表する“つかフリーク”の二人が著者のもとに集結。“正史”を検証する鼎談が行われた。議論は白熱沸騰、『波』に発表された5000字の記事に、今回3人による約1万4000字の超弩級加筆を経た、計1万9000字の完全無欠版が公開される!

■“つか節”の源流

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長谷川康夫さん(脚本家・演出家)

水道橋博士(以下、博士) 『つか正伝』の中で出てくる例えでいうと、「銀ちゃん」の性格がつかこうへいそのもので、まさかあんな人はいないだろうと思ってたんですけど、この評伝を読んでるとあのままですよね。
長谷川康夫(以下、長谷川) 確かにびっくりはするよね。人生において、僕はあれ以上人間としてインパクトのある人に出会ったことはないものなぁ。
博士 つかこうへいと言えば「口立て」。稽古場で役者に台詞を与えながら芝居を作っていくというそのスタイルは聞いてたけども、『つか正伝』によると、まずつかさんがアイディアを考える時間があって、その間に役者さんたちがマラソンして体作って、それが終わると2時間でも3時間でもつかさんに言葉が降りてくるのを待ってる。つかさんに言葉が降りてくると稽古が始まって、つかさんが台詞を役者に伝えていき、あるときはその受け渡しの中で役者さんが発した台詞から、また新たな言葉が生まれていくという演出なんだけど。
長谷川 「口立て」に関して言うと、歌舞伎や旅芝居なんかも「口立て」で出来ていくわけだし、それを真似ているだけで、つかこうへいだけの特別な手法じゃないっていう人もいるけど、全然違うのね。そういうものは、まずストーリーが決まってて、それに沿ってある台詞を口で伝えていくだけ。旅芝居の一座なんかでも、座長がまさしく「口立て」していくわけだけど、たいがい定番の話を、設定をあれこれ変えて「新作」にするだけ。武士の家族の話が商家の話になったり、やくざ者の世界に置き換えたりとかね。でもつかさんの場合は全くゼロから役者を使って、新しい物語を作っていく。最初の段階では、つかさん自身も結末がどうなるかわかっていない。浮かんでくる言葉を繋いでいくうちに、だんだんストーリーが生まれてくる。
博士 だから、もともとつかさんの芝居の言葉はどこから出てきたんだろうって興味が尽きなくて。例えばこの本の中で、やっぱりなと思ったのは『男はつらいよ』を全部観てたんだとか。
長谷川 同時代だったから、影響は確実にあるよね。
博士 つかこうへいのあのリズムって、渥美清さんなんだ!って思った。東映の任侠モノも必ず観てたんですよね。
長谷川 『仁義なき戦い』が世に出てからも全部観てた。それはやっぱり世代的なところがあるんじゃないかな。つかさんの年齢って、演劇史的にはちょうど“間(はざま)”なんですよ。新劇の時代があって、60年代後半にいわゆるアングラが生まれて、唐十郎さんとか寺山修司さんが一時代を作るんだけど、確実につかさんはその世代とは違うんだよね。それこそ扇田昭彦さんが見事に一言で表したように、「ポップ」だった。つかこうへい以降、間違いなく演劇は変わっていきました。
博士 そこから小劇場ブームですよね。
長谷川 こんな日常的な軽い言葉でいいんだとか、舞台を見て笑っていいんだっていうことを広めたのは大きかったと思う。もっと言えば、さっき博士からも出たけど、お笑いの世界でも、けっこう重要な役割を果たしているような気がするな。
博士 漫才ブームはもろかぶりですね。そういえば『つか正伝』を読んでいるとわかるけど、長谷川さん、ほぼシティボーイズのメンバーみたいなもんじゃないですか!早稲田大学時代に大竹まことさん、きたろうさん、斉木しげるさんと出会って、彼らと一緒に4人で芝居をしていた時期があったんですよね。
長谷川 つかさんが離れた「暫」にいた頃ね。そのあと連中がシティボーイズを結成して、僕はまたつかこうへいと芝居をやるようになるんだけど、そうなってからも、彼らの活動を裏でずいぶん手伝ってた。今でも、もしあのとき「俺もシティボーイズを一緒にやる」って言ってたらどうなってただろうな、なんて考えることがある(笑)。だいたい「シティボーイズ」ってのは、元々僕らの野球チームの名前だし……あ、ジャニーズと一緒だ(笑)。 
博士 そういう関係も見えてなかったですね。風間(杜夫)さんとシティボーイズの関係は分かっていたけど。

■初対面でタバコを奪い取った

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水道橋博士(浅草キッド)

博士 でも、つかさんみたいなハッタリばっかかましてる人が実在したら、驚いたでしょう? 本に出てくるエピソードで、長谷川さんがつかさんと初めて会ったときに、パチンコで勝ったタバコを全部つかさんに奪われたっていう話、衝撃受けますよね。
長谷川 その出会いと、『郵便屋さんちょっと』というつかさんの芝居だね。あまりにも想像を超えてるから、驚くという感情すらもなく、本当に呆然としてた。18、19の男の子が東京に出てきて、とんでもないものに出会っちゃった……今になればそう思いますけどね。
博士 長谷川さんがこの本の中で「初めてこれを明かすが」と書いていた話で、つかさんにタバコを買って来いって言われて……。
長谷川 「パチンコでタバコを取ってこい」って。
樋口毅宏(以下、樋口) お前なら増やせるだろう、と千円札を。
博士 この言葉で、つかさんが、パチンコで勝った大量のタバコを抱えていた長谷川さんの第一印象を覚えてるっていうのがわかる。だけどもそのときはスっちゃって、結局長谷川さんは自分でタバコを買って、さもパチンコで勝ったかのように持っていくんですよね。
長谷川 それでつかさんに渡したら、「おめぇがよ、パチンコで負けたのに自分の金でタバコ屋行って買ってきて、俺に渡すぐらいの根性があればよ」って言ったんだよね。本当に心臓が止まりそうになった。いや、別に僕の行為を見抜いたわけでも何でもなく、つかさんって、ひとつそういうことを言ってみたくなっちゃう人なんだよね。半分冗談で言ってるのに、それがズバリ当たってしまう。たぶん本人は気づいていない。何度もそんなことはあったなぁ。

■見栄っ張りで毒舌、でも……

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樋口毅宏さん(作家)

博士 石原良純さんに会った時に聞いたら、つかさんが凄いのは、芝居を「口立て」で作ってるから、全ての役を自分が、完璧に出来ちゃうところですよね。
長谷川 で、最初はどの役者よりも上手い。
博士 もう、それなら一人でやればいいじゃないですか!
長谷川 いや、人前だと絶対にできない。つかさんが実際舞台に立ったら10秒と持たないだろうな。そこが役者と演出家の違いだよね。
博士 それじゃあ「寺門ジモン最強説」と一緒だよ。ヒクソン・グレイシーに勝てると豪語するけど、実戦は絶対やらないという(笑)。つかさんの口立て稽古を受けた役者たちは、日常でもつか芝居の人格になっていくんですね。三浦洋一さんとか……。
長谷川 風間(杜夫)さんなんかも、元々は人見知りで、シャイな人だったのが、つかさんに作り上げられて、すっかり変わっちゃった。今は一緒に飲んでても、ずっと“銀ちゃん”やってるからね。
樋口 役が憑依して抜けないんだ。明るいヒース・レジャーか。
長谷川 でもつかさん自身の中にも、昔の風間さんみたいなところがあって、二人っきりだと全くしゃべらない。一緒に飲みに行っても、「あいつ、何か言ってたか」「いえ」なんてやりとりがあるだけで、2、3時間、黙って飲み続ける。
博士 そこで少しだけ話したことをずっと根に持ってるのが怖いんですよね。
長谷川 そう! 誰々がこんなことを……なんて話そうものなら、翌日の稽古場で「おい、長谷川から聞いたぞ!」が始まって、痛い目に会う。それが分かってからは余計なことは絶対に話さない。
博士 ホントの恐怖政治ですよ!(笑)
長谷川 例えば「長谷川、テメェが飲み屋でチャラチャラお調子者やってるから、そんな芝居しかできねぇんだ!」と始まった瞬間、稽古場の全員が気配を消す。次の矛先を向けられないようにね。今みたいに樋口さんがつい、へへっと笑ったりするでしょ。間髪いれずに「ヒグチ、おめぇのことだよ!!」。……それがまた、どの役者より響くいい声なのよ(笑)。かと思うと突如、優しさに溢れた男になる。大好きなんです、俺は実は人情家なんだってのが。
樋口 つかさん自身、「さんざん笑わせといて泣かせるのがオレ、うまいよなあ」と書いていましたね。
長谷川 よく悪ぶって言ってた。「また泣くんだよ客が、簡単によぉ!」って。
樋口 『腹黒日記』のまんまですね!
長谷川 『腹黒日記』で唯一事実なのは、「つかこうへい」の人格だよね。あの中のつかさんは、つかさんのまま。実際に金貨をトイレに隠すなんて、普通にやりかねない。
博士 架空だけど「リアル」なんだ。僕も樋口さんもやっていることだけど、『腹黒日記』は真似しようとしてもすごく難しい。
長谷川 真似ようとする感覚もよくわからない(笑)。つかさんの著作には『ロマンス』のような小説スタイルのものと『腹黒日記』のような虚実入り混じったエッセイスタイルのものがあるけど、つかさん自身が楽しんでたのは、『腹黒日記』や、つかさんを思わせる人物が主人公の「つか田こうへい」シリーズの方だと思う。でも後になって『ハゲ・デブ殺人事件』とかで「つか田こうへい」ものをやっているんだけど、初期のようなハジけ方はしていかなかった気がする。『腹黒日記』のPART1からPART2にかけてほど、つかさんの筆が弾んだ時期はなかったから。
博士 驚異的です。あれだけ書きながら、芝居公演もずっと重なってやっていて。
長谷川 むしろ同時にやってたから、出来たのかもしれない。あの頃のつかさんは、毎日すごい高いテンションで稽古場に行って稽古をして、朝も4時に起きて原稿を書いていた。劇団解散までの最後の2、3年は、とにかく異常なテンションのまま突っ走った。

■流布してしまった「いつか公平」説

博士 実は『つか正伝』で感じるのは、やっぱり書かれなかったこともたくさんあるんじゃないかなぁという……。
長谷川 まぁ、近いだけに、逆に書けない話はいっぱいあったよね。
博士 亡くなったから書いてもいいかと思うけど、長谷川さんは絶対書かないようにしてますよね。
長谷川 それは、これを出すことで伝えたかったものとは関係ないからね。
樋口 いや、この本の素晴らしいところは、暴露本にもなっていなくて、美談にもなっていないところなんですよ。
長谷川 あの人に美談なんてないもの(笑)
樋口 美談といえば、びっくりしたのは、僕もずっと信じていたペンネームの由来、つかこうへいが「いつか公平」のアナグラムであることを長谷川さんが『つか正伝』で完全否定していたこと。この手の話は美談にしやすいのに、断固拒否していて清々しかったです。
博士 かなりの枚数を使って、証拠を固めて反証していますね。
長谷川 長谷川がムキになりすぎてて鬱陶しい、なんて書評で書く人もいた(笑)。でもそこは、この本を出したいと思ったひとつの理由でもあるしね。この結論には絶対に自信がある。「つかこうへい」を名乗り始めた頃の関係者に訊ねても、「いつか公平」説なんてまるで出てこなかったし、つかさん本人からも、そんな話は一度だって聞いたことはないしね。だいたいあの人がそんなこと思うタマじゃない。世の中、公平じゃないから面白いんだってのが、つか作品の永遠のテーマだもの。おそらく、つかさんはあるとき「いつか公平」説を耳にして、そのこじつけに失笑したんじゃないかな。現在あまりにもこの説が独り歩きして、みんな事実であるかのように錯覚してるけど、たぶんつかさん自身はただ面白がって、勝手にそれを言わせてたみたいなところがある。
樋口 「ちばてつや先生が好きだからひらがなにした。1文字多くて申し訳ない気がした」とか、つかさん自身色んなところでペンネームについて書きながらも、結局は煙に巻いているんですよね。
長谷川 ちばてつやさんのことは本当に好きだったから、どこか正しいところはあると思う。あ、とりわけ気に入っていたのが『のたり松太郎』という相撲マンガだってことや、芝居の打ち上げにちば先生が来て、つかさんを含めてみんな、色紙を書いてもらったことを、つかこうへいマニアのお二人に、今日は特別にお教えしておきましょう(笑)。
博士・樋口 ありがとうございます!
長谷川 ただ、あの時代、芝居の世界でひらがなにしたというのは大きいと思う。それ自体がやっぱり「ポップ」で、劇作家としてのイメージ作りの上で、成功したんじゃないかな。
樋口 僕の中で三大ひらがな大先生って言ったら「ちばてつや」、「つかこうへい」、「みうらじゅん」ですよ。
長谷川 ハハハハ! 「ひらがなの名前の作家って、他に誰がいますかね?」って話をつかさんとしてて、「なだいなだ」とかしか出てこなくて……。「はらたいら」はその後だし、漫画家だし……(笑)。
博士 「いとうせいこう」、「みのもんた」、「やしきたかじん」「いしいひさいち」……ってなんだ、この遊び!(笑)
樋口 ペンネームの件もそうですが、『つか正伝』を読んだらつかさんを分かったような気になるけど、でもやっぱりますます摩訶不思議で正体不明な人という気もしてくるんです。下世話で気まぐれで、癇癪持ちで権威主義で、見栄っ張りで毒舌で、でもロマンチストで。怒りんぼで威張りんぼでひねくれてて……でも、人間らしいんですよね。だからあんな舞台が作れた、あんな作品が書けたと思うんです。

■埋もれた“もう一人の天才”

博士 『つか正伝』はもう一人歴史に埋もれた天才がいるという話でもあるんです。つかさんの演劇的才能が、実はつかさんだけじゃなかったんだって……中野幾夫さんでしたっけ。ほぼつかさんと同じような能力を持っていたけど、最後まで世に出ることはなかったという。
長谷川 中野幾夫さんは慶應時代からつかさんと二人三脚で芝居をして、演出の面でもつかさんに大きな影響を与えた人物です。世間で中野さんについて知ってる人などいないので、どこまで書こうか悩んだけど、これだけはきちんと書いておきたいなと。つかさんも喜ぶと思ったの。つかさんはずっと中野さんを認めてたから。早い時期に中野さんは演劇の世界から離れてしまったけど、つかさんは会いたがっていて、「週刊新潮」の伝言板のコーナーに「中野君、これを読んだら連絡をくれ」って書いたこともあった。
博士 そこまで消息わかってないんですか?
長谷川 今はやっとわかっていますけどね。芝居の演出でもつかさんに影響を与えたし、文章でも、さっき言ったような僕らがやっていたアシスタント的な役割を、一番最初は中野さんがしてたんじゃないかな。中野さんがいて、平田(満)がいて、高野(嗣郎)がいて、最後に僕、みたいな感じでつかさんのアシスタントの流れがあったんだと思う。中野さんの存在は、僕の人生の中でもすごく印象に残ってて、もしあんな人が芝居の世界にあのままいたらどうなってたんだろうって、ずーっと思うところがあった。
博士 もう一人の天才物語が語られますけどね。
樋口 沢木耕太郎の「三人の三塁手」みたいですよね。長嶋茂雄の陰に隠れてしまった不遇のサードみたいな。
博士 この本を原作にして、そういう舞台や映画も見てみたいです。
長谷川 じゃあ、とちらかが脚本書いてよ(笑)。
博士・樋口 そんなヒマは……。

Book Bang編集部
2016年8月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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