鬼才、綾辻行人のさらなる新境地 夢と現実の澹(あわい)に潜む京都の「妖(あやし)」の物語

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深泥丘奇談・続々

『深泥丘奇談・続々』

著者
綾辻 行人 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041037324
発売日
2016/08/01
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

夢と現実の澹(あわい)に潜む京都の「妖(あやし)」の物語

[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)

 主人公の“私”は京都生まれの京都育ち。本格ミステリの小説家である。遅筆で寡作な作家だが、根は真面目である。

 九年前に町の東地区、紅叡山の麓に位置するこの土地に引っ越してきた。自然が多く、野生動物も珍しくないが、昨今では猿の被害に悩まされている。

 妻は南九州の猫目島出身で大学時代に知り合い結婚した。子どもはいないがころ助とぽち丸という二匹の猫を飼っている。

“私”には眩暈の持病がある。かかりつけの深泥丘病院では左目にウグイス色の眼帯を付けた脳神経科の石倉(一)、右目にウグイス色の眼帯を付けた消化器科の石倉(二)、そしてウグイス色のフレームの眼鏡をかけた歯科の石倉(三)に診てもらっている。仕事柄、不摂生な生活をしているため、せめて禁煙をするようにと何度も警告されているが実行には移せない。この病院の咲谷という若い看護師は有能で、医師たちを完全にサポートしている。

 連作短編である『深泥丘奇談』シリーズの背景を語るとこのようになる。登場人物は変わらず、年月だけが経っている。四十代だった“私”はもうすぐ五十歳になり、昔より健康のことを考えているのが少し可笑しい。三巻目ともなると、初めはおろおろしているばかりだったのが、記憶を無くしたり不気味なものに出合ったりしたことも、今では図太くなって仕方がないと開き直っている。むしろちょっと楽しそうに見えるときさえあるのだ。

 この連載が始まったのは十二年も前のことである。実際に京都に住む本格ミステリ作家である綾辻行人が、夢と現実の澹を描いたこの作品は、当時とても目新しく「幽」という雑誌が届くといの一番に読むほど私の好みだった。本書は「続々」というタイトルどおり、読み進むうちに背筋がぞくぞくとしてくる。誰かに見られているような気がして、何度か振り返って、誰もいないことを確認してしまった。

 本書には九本の短編が収録されている。新型インフルエンザの特効薬の副作用を描いた『タマミフル』、近所の白蟹神社の祭礼で見た銀色の面の正体を知る『忘却と追憶』、メタボ改善の運動を続けてもどうしても体重が『減らない謎』、自分が死んだ夢の中でみんなが分からない言葉を喋っているという『死後の夢』、京都から初めて外に出て東京のホテルで締め切りに追われる『カンヅメ奇談』、妻の秘密を知ってしまう『海鳴り』、ホテルの会員制プールの恐怖体験『夜泳ぐ』、新作の短編のプロットを練る『猫密室』、そして十二年に一度、巳年の九月に行われる儀式『ねこしずめ』。

 それぞれ違う話のようで、実はどこかで複雑に絡まり合っている。それだけではない。この九年間に起こった出来事の記憶や解決されずに置き去りにされた謎が、何かのきっかけで呼び戻される。悪夢は白昼夢のように曖昧で、一番信頼している人が、一番信用できなくなる。果たして“私”は、今どこにいて何をしているのだろう。眩暈は徐々にひどくなり、突然けけけけけけと笑いだす。

 この物語には紙の本が似合う。ざらりとした肌触り、妙に生暖かく感じる重み、そしてそこはかとなく薫るインクの匂い。多くのファンを持つ装丁家、祖父江慎が腕によりをかけて作り、各ページには佐藤昌美の美しいイラストが躍る。どちらも禍々しく、それでいて耽美的な物語の魅力を倍増してくれる。読み終わったらそっとカバーを外してほしい。丁寧な造本に驚くはずだ。

 深泥丘を舞台にした奇談は終わらない。きっと“私”は何事もなかったように紅叡山の麓にある家に住み、眩暈を起こし、深泥丘病院で手当てを受けるのだろう。だが、何か大きなことが起こる気配を感じる。次に“私”に出会う時、どんな奇怪な物語が紡ぎだされるのだろうか。待ち遠しい。

KADOKAWA 本の旅人
2016年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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