阿部和重×古川日出男×山崎ナオコーラ×青木淳悟×福永信・座談会 小説の家で語る、小説のこと 『小説の家』刊行記念

対談・鼎談

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『小説の家』刊行記念座談会 阿部和重×古川日出男×山崎ナオコーラ×青木淳悟×福永信/小説の家で語る、小説のこと

13阿部和重×古川日出男×山崎ナオコーラ×青木淳悟×福永信

福永 今日は『小説の家』の発売日です。六年くらい前から不定期で、短編とビジュアルを組み合わせて掲載するという企画を「美術手帖」でやっていたんです。この本はそれを一冊にまとめたものです。僕が依頼しまして、打ち合わせなんかも時間をかけてやらせてもらいました。ビジュアルの表現についても話し合う中で決めていきました。最初から単行本化を前提にしていて、そんな話なんかも打ち合わせのときからしてきたと思います。ご自身の著書などへの収録も待ってもらったりして、すごく協力していただきました。ほんとに感謝の気持ちでいっぱいですが、まず、著者の皆さんからこの本を手にしての感想を教えてもらえますか。

古川 この本は色一つとっても、紙一つとっても、とてもこだわってるけれども、そのこだわりが単に遊びに見えるようにしているんですね。それがとてもいいなと思いましたし、基本的には馬鹿げた、痛快な本だと思うんです(笑)。自己満足よりもちょっと先に行っているように見えます。

山崎 いい本に出来上がって本当によかったなと思います。本の最後にある福永さんの書いた謝辞、笑いながら読みました。この本に対する考え方がすごく面白いなって思いました。

青木 あの謝辞を読んでいくと、出来上がるまでの過程っていう部分がすべて書かれています。それがこの本のストーリーになっているといいますか、『小説の家』を特別なアンソロジーにしているっていうのが僕の感想です。

阿部 この本に関してはアンソロジーとは呼びたくないなというような気持ちがあります。もちろんこういう形で出来上がったことは、非常によかったなと思いましたが、それよりも福永信という作家の作品としてこの『小説の家』という本がまずあるっていうのが僕の認識です。装幀の名久井さんのお仕事も含めて、あまり前例のない本になったのではないかなというふうに思いました。

『小説の家』でしかできないこと

福永 では、それぞれ個別の作品について聞かせてください。青木さんの作品「言葉がチャーチル」は、ここにいる皆さんと違って、直接にはストーリーの中にアートのことが入ってきませんね。

青木 僕は知ったかぶりをしながら書くっていうスタイルでいつもやっているんですが(笑)、この小説についても書くまではチャーチルのことをほとんど知らなかったんです。既存のイメージをどう取り込むかということを考えているので調べながら書いたのですが、気がついたらまったくアートとか関係がなくて完全に勘違いしました(笑)。ただ、学習漫画みたいなイメージがありまして、漫画のビジュアルがついて自分ではとても気に入っています。それ自体はアートでも何でもないものを切り取って置き直すことで、さらに師岡とおるさんに僕の予想をはるかに上回る学習漫画感を出していただきまして、「美術手帖」でしか成立しなかった作品だなっていうふうには思っているんです。

古川 僕の「図説東方恐怖譚」、古川日出男ってクレジットになってますけど、基本的にこのプロジェクトは全部、近藤恵介との共作です。福永さんと「美術手帖」の岩渕(貞哉)さんと打ち合わせしたときに、どういうコラボレーションにしようか、話しました。写真でもいいし、絵でもいいしって思ってたんですけど、「どうせだったら全部入っちゃったらいいかな」と思ったんです。

福永 二人での作業ってのは、どういう経験でしたか。

古川 嬉しい作業でしたね、小説を書くのはいつも孤独だから。最初に僕が百字のテキストを八編書いたんです。それらを近藤君に送って、彼が天平時代の「絵因果経」のフォーマットを下敷きに八枚の絵を描いた。でも初出では絵と罫線だけで、その百字×八編のテキストは発表しませんでした。それとは別にその絵を鑑賞している視点、批評するような文章を三百字、これも八枚分、板の上に手書きで書いたんですね。それらを写真に撮りました。それから、「なぜそれらの絵があって、それらの絵を鑑賞し、批評している視点があるのか」という物語世界を、普通の小説の形式で書いたわけです。つまり、絵と、写真と小説、三つの世界が一つの見開きに同時進行している。それが二〇一一年三月十七日に発売された「美術手帖」に載ったバージョンなんです。さらに近藤君と僕はその直後にギャラリーで「絵東方恐怖譚」という展覧会を開いて、初出では入れなかった百字のテキストと、近藤君の絵巻などを展示した。公開制作というかたちでパフォーマンスもしました。「図説東方恐怖譚」の物語は美術と美術館にまつわるものですが、それを紙の中に閉じ込めながら、外へ持ち出してしまうということを考えてやったわけです。今回の本では、そんなすべての文脈を活かすようにしています。自分が最初にやろうとしたものがどんどんずれてくるし、そこが一人ではできないことで幸せな経験だったなと思います。

阿部 僕も「美術手帖」に載るということが出発点になっていて、自分自身の貧しい美術体験の一つを元ネタとして扱っています。瀬戸内海にある直島というアートで有名な島に南寺という場所があって、光が重要なテーマのインスタレーション作品があるんですね(ジェームズ・タレル「バックサイド・オブ・ザ・ムーン」)。光と暗闇みたいなものがすごくリアルに、極端なものとして体験できるんですが、自分の作品がどこまでそれに近づけるのかっていうことが考えとしてありました。「もう真っ白で、文字が何もなくてもいい」ぐらいな、そういう見え方ができればいいなと思ったわけですね。僕の南寺体験なるものと、作品「THIEVES IN THE TEMPLE」を読むこととが、シンクロするような形になればいいなと思ったんです。真っ白なんだけれども、目を凝らしたり、本の角度を変えると文字がなんとなく見えてくる。

山崎 阿部さんのページの読みづらさ、すごくいいなと思いました。私は、なんだか自分のは普通だなと思いました(笑)。

福永 ナオコーラさんは自分で絵を描いたじゃないですか。絵を描くのはこの「あたしはヤクザになりたい」が初めてだとおっしゃっていましたね。

山崎 福永さんと美術出版社の書庫に行ったときに、昔の雑誌をめくっていたら「絵と文」というようなことをやってる人がいて、私もそれをやってみたくてやった感じです。けっこうふざけたつもりだったんですけど、「もっとふざけていいんだな」っていうのをすごく思いました。福永さんは、なんで小説書かなかったんですか。

福永 だんだん依頼することそのものに楽しさを感じてしまって、自分が小説を書くということが先送りされたという感じなんですよ。

山崎 そのうち書くみたいな雰囲気もありましたよね(笑)。

福永 そうだったんですけど、えーと、どういうわけかこんなことになってしまって……(笑)。

山崎 私は作品を書いていて「この作品を私が書いたっていうふうなこと、そのうちわからなくなってもいいな」っていう気持ちがあるんです。将来、名前が残らなくてもいいし、小説を発表しても、「泡みたいに消えてしまってもいいかも」って最近、思うようになったんですけど、それは、みんなで作っている大きな小説っていうものの一部分になれば、もう私の仕事は十分かもしれないから。小説は一冊という単位になったりするけど、そうではなくて、大きい全体として考えることがあるんです。

それぞれの小説のこと

青木 僕はほかの皆さんと比べて、ビジュアルとかアートっていうものとの、その絡みっていいますか、そういうのがまだまだというか、後ろ向きな感想なんですけれども、少し弱かったんじゃないかなっていうふうに思っているんです。

阿部 青木さんは「自分の短編そのものがアート」っていうふうには認識してないってことなんですか。

青木 ものすごく離れたところにいると思ってますね。

阿部 なるほど。そこが逆にちょっと興味深いなって思いますけどね。

青木 アートではなくて世界史、第二次大戦の一部分の戦局に急に興味を覚えまして、世界史を勉強し始めてそれがこの作品に反映されていると思うんですが、歴史なのに作品内の時間は一直線ではなくて、ループするんですね。四回とか五回とかループして、これは自分で読み返していても、「また戻るのか……」とちょっとつっこみたくなる(笑)。でも、そこが気に入っている部分でもあって、何といいましょうかね……作者もあきれながら書いてる感じというのが伝わったほうが面白いなって思うこともありました。

福永 「美術手帖」自体も、何度もループするように同じ特集を組むんですよ。世界のアート事情であるとか、ポップアートや印象派特集であるとか、何年かごとにやるわけです。それを青木さんは反復することでそういう言葉にはされないけれども、発表媒体の習性を作品に繰り込んでいるわけですね。恐るべき無意識があると思うんですよ、青木さんにはね。

古川 阿部さんのあの作品は本当に稀有な体験でした。普通、本読んでいると、インクのことなんて意識しませんよね。それが、真っ白いところに真っ白い文字だから、本を動かしたり、ページに光を当てたりしないと見えない。そのときに、物質感というものをすごく感じるんです。

阿部 ありがとうございます。僕は非常にシンプルで、単に「どう見えるか」ってことですね。それによってある意味で小説を美術に近づけるという試みになってるわけですけども、古川さんの場合はもう、それこそいくつもの層が重なっていて、美術の制作でもあり、また同時に批評でもあって、鑑賞者の視点というのも全部入ってる。美術にまつわる体験がすべて一つの作品で味わえるというような、トータルの試みになっているということだと思うんですよね。だから、この二つの好対照な作品が入っていれば、もうこの本は大丈夫だろうということでいいんじゃないですかね(笑)。

『小説の家』とは何だったのか

福永 阿部さんは普段は自分の小説作品の中では、ここまでビジュアル的な要素というのを組み込まないですね。つまり電子書籍になっても、作品の質というのは一定で変わらないし、意識的にそうされていると思います。それは古川さんも同じだと思うんですよ。古川さんはパフォーマンスをご自身でなさったりってことはあるけれども、小説という形は極めてオーソドックスにやっていると思うんです。今回の小説というのは、それぞれの作品歴の中でも特別なもののような気もするんですけど、それは作者としてはどう捉えているんでしょうか。

阿部 僕の場合はやっぱりまず、とにかくこれは福永信の企画であり、福永信の作品であるってことがもうすでに最初からありました、考えとして。だから、これはアンソロジーではなくて、実はすべての作家の作品が福永信の小説の中に引用されてるっていうような見方でいいんじゃないかな、と。なので、総題の『小説の家』というのも結局、福永は小説というものとしては一文字も書かなかったかもしれないけども、この「家」を提供したってことで、これは一つの作品として読めるんだよってことをレビュアーの方は書けばいいんじゃないかなっていうふうに僕は思いますけどね(笑)。

古川 あと、作品の配置が素晴らしくて、柴崎さんの最初のあの一行から始まって、われわれがいろんな人とコラボレーションしながら苦闘したり、楽しんだりしたものを素材に、福永さんによる謝辞とあとがきが来て終わる、この流れ。この配置があることで、どんなに僕とか阿部さんが異様なことをやっても、感動的な一冊の本になっているんだと思うんです。

阿部 もう一点だけ言うと、今回の企画が始まって、今日こうやって本が完成してトークショーをやっているというふうなところにこぎつくまで、いろいろと大変なことが起きてたわけですね。代表的なものとしては三・一一ということが言えると思うんですけども、それとは別に出版業界という点でも、非常に困難な状況がある。むろん世間はそれだけでもないわけですが、いろんな形である種の危機みたいなものを迎えている中で、こうして出来上がった本を見ると、それに抵抗するかのように、まったく危機とか抵抗とかっていうことと無縁な形で、悠然と構えた本になってるなって印象を持っているんです。僕はそこも素晴らしいなと思いました。

福永 阿部和重さん、青木淳悟さん、山崎ナオコーラさん、古川日出男さん、ありがとうございました。さて、ところで、このトークも僕がまとめているんです。文字起こしの原稿をもらって、当日、実際に話されたことの順番を入れ替えたり、みんなの声を思い出したりしながら、一時間の内容を十八字三百行に収まるように構成してるんですね。もちろんそのあとで、皆さんにバッチリ加筆修正を施してもらって、この誌面に載ってるんで、僕がコントロールしているわけでもなんでもないですし、僕のことを褒めているところだけをピックアップしているということもないんです(笑)。ただ、こうして皆さんの言葉を眺めていると、僕らの集まる場所はやっぱりここだな、こんなペタンとした場所だなと、そう思うんですね。また会えることを楽しみにしています。

 2016年7月29日神楽坂la kaguにて

新潮社 波
2016年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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