無十 斎藤義重 著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

無十 斎藤義重 著

[レビュアー] 中村隆夫(美術評論家)

◆明るく乾いた芸術求めて

 本書は斎藤義重が書き残したノート類を活字化したもので、全体の約五分の一にあたる。彼は一九五七年に抽象作品「鬼」「作品1」を発表して画壇の注目を集め、「五十三歳の新人あらわる」と喧伝(けんでん)された。その後、日本の現代美術を牽引(けんいん)する存在となる。本書はその直前の画家としての沈黙を守った約十年間のものである。

 彼は五四年に生活苦のため離婚し、二人の息子を施設に預けざるを得なかった。施設で息子二人と再会する場面は、短篇小説を読むようであり、場の描写の中に彼の痛ましい心情が行間から滲(にじ)み出てくる。こんな思いで生きていたのかと改めて知る思いがした。

 「私は今日毎このメモランダムを書いている。これは日記であろうか。私の心領するものは文学であった。そういう表白の方法でないと意に満たなかった」と綴(つづ)り、それに消し線をつけている。空襲で作品も、おそらく小説の草稿も燃えてしまった彼の文学に対する思いが感じられる。「形式と素材は『詩想』に寄って創作される」と書いていることから、彼にとって文学と美術はおそらく同義であったのだろう。

 だが、彼のめざすものは抒情(じょじょう)的なそれではなかった。「自然、現実は感情を強いない、感情を押し付ける文学は悪い」と書く。彼が求める芸術は「かわいて」いて「明るさ」をもったものである。これを求めて彼は沈黙の日々を送っていた。

 「扉が微(かす)かに動きかけて、向う側の光りが見えるように思った」等々、何度も現れる「扉」という文字。その扉をこじ開けようとする闘いが、生活苦、家族との別離の辛さを抱えた日々のなかで繰り広げられていたのだ。

 彼の作品には中途半端な感情移入を寄せ付けない強度がある。「精神があって、形ができる。精神とはエネルギー。或(あ)るいは力である」。ここに斎藤義重のすべてが集約されているように思われる。本書から得られるものは実に多い。
(千石英世編、水声社・4860円)

 <さいとう・よししげ> 1904~2001年。現代美術家。多摩美大教授などを務める。

◆もう1冊 

 『絹谷幸二 自伝』(日本経済新聞出版社)。故郷奈良、イタリア留学の思い出から近況まで、洋画家が七十余年の歩みを振り返る。

中日新聞 東京新聞
2016年8月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク