五木寛之は、けっこうヤバい?【自著を語る】

レビュー

1
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

70歳! 人と社会の老いの作法

『70歳! 人と社会の老いの作法』

著者
五木 寛之 [著]/釈 徹宗 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784166610846
発売日
2016/08/19
価格
842円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

五木寛之は、けっこうヤバい?【自著を語る】

[レビュアー] 釈徹宗(僧侶・宗教学者)

 数度にわたる対談の最後は、「お寺へのエール」を送られる格好となった。

 最近、お寺をソーシャル・キャピタル(社会資本)として再解釈する動きが進んでいる。特に東日本大震災以降、この論議が活発化している。これも日本の社会が成熟期へと移行した表れかもしれない。また、地縁・血縁共同体の上に乗っかっていたお寺の形態が、大きな曲がり角に突入したことの表れでもあろう。いよいよお寺が危機的状況となって、かえって「いやいや、お寺も必要なんじゃないの?」という人が出てきたのだろうと思う。

 ひと口にお寺と言っても、ずいぶん個別の事情がある。だから単純に「こうすべき」といった話はできないが、ソーシャル・キャピタル論でいうところの「ボンディング(結束)」と「ブリッジング(橋渡し)」の両面に取り組んでいかねばならないのは確かである。これまでお寺は、前者に関してはかなり熱心だったと思う。しかし今は他領域とのブリッジングについても取り組む姿勢が求められている。

 文化庁の年鑑によると、全国のお寺の数は約七万七千二百カ寺、僧侶の数は約三十七万人(男女の比率はほぼ同じ)。そう遠くない将来、この数は激減するといわれている。大きな潮の変わり目のただ中で、お寺や僧侶はどんな姿を提示するのか。お寺の動向もまた、先行モデルがない成熟期日本を解読する指標のひとつなのである。

■五木寛之は、けっこうヤバい

 成長期を終えた日本社会において、仏教を指針とした方向性を示してきた先駆者に五木さんがいる。しかも五木さんは、実にウェットな仏教言説を展開してきた。世俗の情念を切り捨てることなく、世俗とは別の扉を提示して見せた。五木さんを通して仏教を手元に引き寄せた人は数多い。

 そのため、かなり完成した人格者との印象をもっている人が少なくないと思う。確かに、穏やかで、ユーモアがあり、そして博識である。世界のさまざまな事象について深く考察している。超ビッグネームでありながら、他者に対して細やかな配慮もする。こちらが恐縮するくらいである。しかし、初めて会った時に、五木寛之は牙を隠しているのではないかと感じた。この人は、ポピュリズムやスノビズムに対して静かな怒りがあるんじゃないだろうか。あるいは、内面の奥に「お前たち、なぜそんなに群れたがるのだ」「どうしてそんなにまでして生きようとするのか」というやりきれなさを抱えているのではないか。あくまで勝手な想像なのだが。

 とにかく、あ、この人、けっこうヤバい、と感じた次第である。

■ミッション:五木寛之の狂気を引き出せ

 そんなわけで、わずか数度しか会っていないにも関わらず、私は「世間は五木寛之をとらえそこなっている」と(勝手に)実感した。みんな、だまされているぞ。この人はもしかするとものすごい狂気を潜ませているかもしれないぞ。それを引き出せ、と(勝手に)思っている。

 その役割を担えるのは、残念ながら、僧侶や知識人ではないだろう。アート系か。シャーマン系か。放浪芸能系か。荒川修作の天命反転住宅にしばらく住んでもらうのはどうか。いや、人前に現れなくなって久しい天才ボーカリスト・ちあきなおみを呼んで来て、「夜へ急ぐ人」や「朝日楼」を丸一日聞かせるか。もし実現することになったら、その場に同席させてもらいたい。

 ただ、本書においても五木さんの内面の奥を垣間見ることができる。勘のよい読者なら私が言わんとしていることはわかるはずである。あなたは読み取れるだろうか。おだやかな語り口の中に潜むものを。

 対談を通じて、もうひとつ感じたのは、かなり早い時期から「もうあとは余生だ」的な感覚をもっているのではないかということであった。基本的には強いこだわりがない。それが仏教によってつちかわれたものなのか、過酷な少年時代に由来するものなのか、あるいは九州人気質なのか、そのあたりはよくわからない。しかし、その余生感が実に魅力的であった。会うたびに魅了されていくのが自分でもわかった。七十歳の戦後日本社会に不可欠な人である。成長期と同じ価値観や方向性では立ち行かなくなってきた今、コミュニティの立ち上げから、自身の消費者体質の見直しに至るまで、我々はこれからも五木さんの語りに耳を傾けねばならないのである。

五木寛之(いつきひろゆき)
1932(昭和7)年福岡県生まれ。生後間もなく朝鮮に渡り、47年引き揚げ。52年、早稲田大学文学部露文科入学。57年に中退。編集者、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で第6回小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都・龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年には第50回菊池寛賞を受賞。著書は『蓮如』『大河の一滴』『他力』『親鸞』『はじめての親鸞』『選ぶ力』『杖ことば』等多数。

釈徹宗(しゃくてっしゅう)
1961(昭和36)年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。専攻は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍ら、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職。『死では終わらない物語について書こうと思う』『法然親鸞一遍』『宗教は人を救えるのか』『いきなりはじめる仏教生活』『仏教シネマ』(秋田光彦との共著)『聖地巡礼 ビギニング』(内田樹との共著)等、著書多数。

文藝春秋 本の話WEB
2016年8月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

文藝春秋

  • このエントリーをはてなブックマークに追加