戦後のパリで話題に 欧米人が接した初の日本の現代小説

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戦後のパリで話題に 欧米人が接した初の日本の現代小説

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 戦時中に、これほど時局とは無縁の清々しい小説が書かれていたことに驚く。昭和十七年に「婦人公論」に連載され、翌年、中央公論社から出版された。

 さすがに当時は広く読まれなかった。この小説が話題になったのは戦後、昭和二十八年にパリで仏訳(森有正訳)が出版され、大評判になってから。欧州人がはじめて接した日本の現代小説として芹沢光治良(一八九六―一九九三)自身が驚くほどの成功を収めた。サガンの『悲しみよ こんにちは』と同じ年のこと。

 幼ない子供を残して若くして結核のために異国で逝った伸子(しんこ)という女性が娘のために残した手記になっている。

 第一次世界大戦後、伸子は医学者である夫がフランス留学するのに従う。優秀な夫は国費留学生としてキュリー研究所で学ぶ。

 フランスへ向かう船旅は新婚旅行のようで伸子は幸福そのもの。夫が誇らしい。ところが船中で伸子は夫から思いもかけない告白を聞く。自分は鞠子という知的で美しい女性を愛していたと。しかも、その女性からの手紙もまだ持っていた。

 伸子は衝撃を受ける。自分は見合結婚で愛を知らない。当然、当初はこの未知の女性に嫉妬を覚える。夫の愛情に疑いを持つ。しかも自分は鞠子のように美しくないし、理知的でもない。

 伸子の動揺、不安、困惑が素直に描かれてゆく。彼女がそこからどう立ち直ってゆくかが主題になる。

 伸子はパリで妊娠する。しかし、その頃から胸を病んでいる。夫と医者は母体を守るために中絶をすすめるが、それを拒否する。自分は死んでもいいから子供を生みたい。

 伸子は女の子を出産し、そのあとスイスの療養所に入る。子供を生んだことで彼女はこれまでとは違う、強く、迷いのない女性に生まれ変わっている。一種の成長小説であり、母となった伸子は、いつしか嫉妬心、劣等感を乗り越えて、精神の高みに立っている。遠藤周作は伸子を「聖女」と評した。芹沢のパリ留学、スイスでの療養生活から生まれている。

新潮社 週刊新潮
2016年9月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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