【聞きたい。】太田治子さん 『星はらはらと 二葉亭四迷の明治』

インタビュー

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【聞きたい。】太田治子さん 『星はらはらと 二葉亭四迷の明治』

[文] 渋沢和彦

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 ■赤い糸に導かれるように…

 「明治時代は知らないことばかり。書いていてへとへとになりました」

 『浮雲』などの小説で知られ、言文一致体という話し言葉に近い文体で書いた近代小説の先駆者といわれる二葉亭四迷(1864~1909年)。鉄道の開業などによる近代化が急速に進み、日露戦争が勃発。本書は大きく揺れ動いた時代とともに二葉亭を描いた評伝だ。平成25年4月号から2年間、月刊誌に連載したものをまとめた。

 太田さんが初めて『浮雲』を読んだのは9年ほど前だった。「読み出すとすぐに引き込まれてしまいました。立身出世がいいとされる時代の中で、権力とお金には無縁の主人公、内海文三の不器用な生き方に好感を持ちました。彼を通じて明治が身近になりました」

 太田さんと二葉亭は不思議な縁で結ばれていた。ロシア文学関係の資料が貼られた母親のスクラップ帳に、1枚の新聞記事の写真があった。ドストエフスキーの『罪と罰』の舞台となったペテルブルク(現・サンクトペテルブルク)の街角の建物を撮ったものだった。「少女時代に見た1枚の写真。冬の寒さが伝わり心ひかれていました。何度も夢に出てきたのです」

 太田さんは連載の下調べで二葉亭の全集を見ていたとき、夢に出てきた建物の写真を発見した。二葉亭が住んでいたアパートだった。「赤い糸で結ばれていると感じました」

 二葉亭は明治41年の夏から、新聞社の特派員としてペテルブルクのアパートで9カ月間を過ごした。太田さんは2度その地を訪ねた。

 「当時、二葉亭は不眠症に悩まされ、肺の病が悪化していました。彼が生活していたアパートの2階の部屋へ向かう階段で胸が詰まってしまいました」

 日本の地を踏むことなく洋上で死去した二葉亭。

 「彼の文学は真面目に生きることとは何かを教えてくれます」(中日新聞社・1800円+税)

 渋沢和彦

                   ◇

【プロフィル】太田治子

 おおた・はるこ 昭和22年、神奈川県生まれ。明治学院大学卒。61年、『心映えの記』で第1回坪田譲治文学賞受賞。著書に『絵の中の人生』『石の花 林芙美子の真実』など。

産経新聞
2016年9月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

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