『アジア主義と近代日中の思想的交錯』 嵯峨隆著

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アジア主義と近代日中の思想的交錯

『アジア主義と近代日中の思想的交錯』

著者
嵯峨隆 [著]
出版社
慶應義塾大学出版会
ISBN
9784766423488
発売日
2016/06/23
価格
5,400円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『アジア主義と近代日中の思想的交錯』 嵯峨隆著

[レビュアー] 奈良岡聰智(政治史学者・京大教授)

後世の都合で言説解釈

 一つの演説が長らく記憶され、歴史上大きな意味を持つことがある。1924年に孫文が行った「大アジア主義」講演は、その代表例だ。

 この講演は、孫文が最後に訪日した際に神戸で行ったものである。一般的には、孫文は、アジア諸民族が連帯する必要性を説くと同時に、日本との訣別(けつべつ)を図ったと見なされてきた。西洋の「覇道」と東洋の「王道」のどちらを選ぶのか、日本国民はよく考えるべきだとした講演の末尾部分は有名である。戦後日本の進歩的ないし親中派の知識人は、この部分を「日本帝国主義」批判の透徹した論理を示したものとして、あるいは日中関係の破綻を予告したものとして、好んで参照してきた。

 しかし、近年の研究によって、このような単純な理解は妥当ではないことが明らかになってきた。そもそも、前述の末尾部分は実際の講演では話されず、記録作成時に追加されたものである可能性が高い。孫文の真意については諸説あるが、反日に傾斜していたというよりも、日中提携に一定の期待を抱いていたという理解が共通のものとなりつつある。この講演は、日本批判、対日協力、日中友好など、様々な文脈で後世に都合よく解釈され、動員されてきたのである。

 本書は、日中両国で唱えられてきたアジア連帯の思想を分析した研究書である。同時代の視点に立って、アジア主義が相互に影響し合い、新たな言説を作り出していった様子を多面的、重層的に描き出している。孫文の「大アジア主義」講演の意義についても、この広い文脈のもとに位置づけられている。戴季陶、汪精衛ら孫文周辺にいた人物たちが、この講演をどのように解釈したのか踏み込んだ分析が行われており、興味深い。

 日中両国の言説が、互いに参照され、乱反射を生み出していくさまは、今日も変わらない。日中関係の将来を見通すため、知的苦闘の歴史を繙(ひもと)きたい。

 ◇さが・たかし=1952年生まれ。静岡県立大教授。専門は中国政治史、政治思想史。

 慶応義塾大学出版会 5000円

読売新聞
2016年9月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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