『〈インターネット〉の次に来るもの』 ケヴィン・ケリー著

レビュー

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『〈インターネット〉の次に来るもの』 ケヴィン・ケリー著

[レビュアー] 岡ノ谷一夫(生物心理学者・東京大教授)

情報技術と人間の幸せ

 情報化の急激な進展の中で生き残り、先を行くための必読書として、本書はすでに各所で情熱的に紹介されている。だが私は、人間性への挑戦の書として読んだ。本書の原題はTHE INEVITABLE(不可避)である。著者はここに描かれた未来が不可避だと言うのだ。選択肢ではなく不可避であると断言する点で、著者は傲慢な予言者である。私にとっては、確かに避けがたいと思う部分と、人間が人間であり続けるためには避けねばならぬと思う部分とがあった。

 避けがたいと思う点。「物」は「事」になる。所有でなく利用になる。流れになる。だから、資源を配分することが仕事になる。家や車、娯楽用品についてはこの傾向はすでに進んでいる。音楽や映画、物語など、事であった芸術は、最近までそれらを記録した物として販売されていた。現在これらは事に戻り、芸術家の収入源は実演に、創造性は編集と検索に置き換わる。

 過去、年を重ねることは知識を集積し知恵として熟成させることと同義であり、尊敬の対象となった。ところが現在、技術の変化はあまりに急激で知恵の熟成の余裕がない。最新の知識が尊重され、年長者であるだけでは尊敬の対象にはなり得ない。家族や社会は存在のあり方を変える。生物としての土台が揺らぐことになる。

 人間は思春期までに身につけた技術に縛られる。実は私は本書を電子書籍で読んでみた。心に残ったものは少なかった。この書評を書くため、紙で再読せねばならなかった。私の限界である。情報技術は流れるように変わり続けるが、人は三つ子の魂のまま生きる。技術と心性の齟齬(そご)により、幸せや満足を感じることなく、己の無力を感じてこれから人は生きるのか。これは避けるべき事態ではないか。それとも、人間の記憶は相互接続され、相転移し個人を超越した心によってさらに技術を加速させるのか。そのとき人間は、何を幸せと感じるのであろうか。多くを考えさせてくれた本である。服部桂訳。

 ◇Kevin Kelly=1952年生まれ。著述家、編集者。著書に『ニューエコノミー 勝者の条件』など。

 NHK出版 2000円

読売新聞
2016年9月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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