『擬制の論理 自由の不安』 松田宏一郎著

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擬制の論理 自由の不安

『擬制の論理 自由の不安』

著者
松田 宏一郎 [著]
出版社
慶應義塾大学出版会
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784766423532
発売日
2016/06/23
価格
6,264円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『擬制の論理 自由の不安』 松田宏一郎著

[レビュアー] 牧原出(政治学者・東京大教授)

精神の闘いの歴史

 本来国家と専制、団体と自治、個人と自由といった観念は、そこにある実体と切り離された仮置きの論理、すなわち擬制である。だが権力は往々にして「皇国」「民意」といった観念に実体をあてはめ人々を誘導する。それを筋悪の擬制と見抜き、よりよい擬制の論理を構成できれば、権力に操られない。本書は擬制の近代日本政治思想論である。

 たとえば原初的合意によって政治的共同体を設定するというルソーの社会契約論。その翻訳に心血を注いだ中江兆民は、個人が合意によって共同体を設立した上で、さらに一般意思にもとづき法律を制定するという擬制を受け入れなかった。個人には元来道徳が埋め込まれており、一度合意を形成すれば自発的に法を遵守(じゅんしゅ)するという儒教的道徳観を保持したのである。兆民は社会契約の擬制に踏み込まず、これまた擬制と言うべき人民主権の根拠としてルソーを援用したと著者は見る。

 もう一つの擬制の系譜は、西洋対東洋というギゾーやバックルの文明論であり、フランスの思想家としてアメリカを見たトクヴィルである。

 明治初期にこれらを受容した福沢諭吉は、東洋的専制対西洋の自由という文明論の図式を克服するため、「亜細亜」という擬制を導入し、ここから日本が脱する経路を構想した。福沢はトクヴィルのいう「公共精神」を参照しつつ、江戸時代の「封建」秩序を特徴付ける「権力の平均」あるいは「競争」関係に日本人の「自治の習慣」が内在しており、それを継承することで明治国家を専制なき自治の秩序へ置き換えようとした。

 周到に観念を擬制と捉える福沢の方法は戦後の丸山真男に受け継がれる。戦後民主主義の「虚妄」に賭けるという発言も「擬制」であるからこそそれに依拠するという宣明だった。だが兆民のルソー理解が示すように、欧米の観念に潜む擬制を精密に意識しつつ自国の秩序を擬制として構想するのは容易ではない。精神の壮絶な闘いの歴史がここにある。

 ◇まつだ・こういちろう=1961年生まれ。立教大教授(日本政治思想史)。著書に『陸羯南』など。

 慶応義塾大学出版会 5800円

読売新聞
2016年9月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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