『月兎耳の家』
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月兎耳(つきとじ)の家 稲葉真弓 著
[レビュアー] 清水良典(文芸評論家)
◆謎の多い叔母の過去
一昨年、病で世を去った著者の遺作が三作収められている。著者らしい言葉の匂いが詰まっていて、読んでいるとむせ返りそうになる。
表題作は、年老いた叔母を世話するために彼女の古い屋敷に同居することになった「私」が、少しずつ謎の多い叔母の過去を知っていく物語である。すでにこの世の果てにあるようなたたずまいの屋敷のあちこちから、封印された記憶の遺物が無数に溢(あふ)れ出る。「月兎耳」もその一つ。ツキトジと書けば可愛(かわい)いサボテンの一種だが、漢字で目にすると、小さな生命のはかなさを感じずにいられない。月兎耳の鉢が並んだ縁側の風景が「賽(さい)の河原みたい」と表現されるとき、幽明の境界の妖しさが立ち込めてくる。
同じく「風切橋奇譚(かぜきりばしきたん)」は、さらにこの世とあの世の境界性が濃くなる。五十代終わりの女性が、山中の別荘の「守り人」になる。裏山と沼のあいだにある「風切橋」を渡って、あの世からこの世にやってくる者たちを迎えて白湯(さゆ)を振る舞うのが彼女の役割である。思えば晩年の傑作『半島へ』をはじめ、この世の最果ての「家」に憑(つ)かれ憧れた作家だった。その「家」が本書に築かれている。
新進作家時代の未発表作「東京・アンモナイト」は清冽(せいれつ)だ。都市をさまよう若い孤独な魂が「家」に辿りつく道のりが、本書から浮かびあがる。
(河出書房新社・1728円)
<いなば・まゆみ> 1950~2014年。作家。著書『砂の肖像』『環流』など。
◆もう1冊
稲葉真弓著『半島へ』(講談社)。中年の女性が自然豊かな半島の家で暮らした一年間を描く。谷崎潤一郎賞受賞作。