燈火 三浦哲郎 著

レビュー

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燈火

『燈火』

著者
三浦, 哲郎, 1931-2010
出版社
幻戯書房
ISBN
9784864881067
価格
3,080円(税込)

書籍情報:openBD

燈火 三浦哲郎 著

[レビュアー] 出久根達郎(作家)

◆揺れる心、移ろう季節

 三浦哲郎は、新劇の杉村春子である。評者は、つねづね、そう思っている。

 杉村春子は、さりげないしぐさが、抜群にうまい。人が意識しないでする動作を、巧みに再現してみせる。

 たとえば、食事をするシーンで、下町の主婦に扮(ふん)した彼女は、箸(はし)を取りあげ、食卓で上下の高さを揃(そろ)えてから食べだす。何げなく、ポンと卓上に箸をはずませて、やおら食事にかかるのである。

 また、やや品のよろしくない役では、食べながら、いったん箸を宙で止めて話しだす。その場合、右手の箸は交差している。箸の先にその場の雰囲気を語らせるのである。

 「燈火」は、作家夫婦と三人の年頃の娘の日々を描いた長篇小説で、一九九六年から九七年にかけて雑誌に連載された。残念にも未完に終わったが、これはこれで立派に完結しているといえる。三浦文学は、どこを切り取っても、一篇のドラマなのだ。長い短いは問題ではない。「しぐさ」を楽しむ芸術なのだから。

 ちょいとした心の動き、あやうく見逃してしまう感情の揺れ、季節の微妙な移ろい、あるかなきかのにおい。私たちが日本人であるしあわせを、そこはかとなく教えてくれる文学。それが三浦文学である。偶然に録音されていた亡母や犬の声を家族全員で聞くシーンは粛然とさせられる。佐伯一麦の解説がすごくいい。
 (幻戯書房・3024円)

 <みうら・てつお> 1931~2010年。作家。著書『忍ぶ川』『白夜を旅する人々』。

◆もう1冊 

 三浦哲郎著『おふくろの夜回り』(文春文庫)。亡き父母や故郷、そして日常の思いをつづった作家最後の随筆集。

中日新聞 東京新聞
2016年10月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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