戦時下、消滅しかけた日本野球を守ろうとした人々

レビュー

1
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

消滅に瀕した野球の歴史を巨人元球団代表が刻印する

[レビュアー] 碓井広義(上智大学文学部新聞学科教授)

 今年の8月7日、マイアミ・マーリンズのイチローが通算3000本安打を達成した。メジャーリーグで30人目という快挙だった。イチローがアメリカに渡ったのは15年前。現在はイチローの他にも、ニューヨーク・ヤンキースの田中将大、テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有などメジャーで活躍する日本人選手が何人もいる。衛星中継の画面で彼らの姿を眺めるのも日常の風景だ。

 しかし、元・読売新聞社会部長で巨人軍球団代表も務めた山室寛之の新著『背番号なし 戦闘帽の野球』を読むと、アメリカで日本人がプレイするどころか、日本野球そのものが消滅の危機に瀕した時代があったことがわかる。

 昭和16(1941)年の真珠湾攻撃によって、野球は「敵国のスポーツ」となった。2年後、文部省は「戦時にふさわしい学校体育」を選定し、野球とテニスを除外する。夏の甲子園大会はすでに朝日新聞から文部省の管轄になり、六大学野球の春リーグも「戦時にあわず」と中止。映画にもなった「最後の早慶戦」が行われたのはこの年の秋だ。

 さらに陸軍から日本野球連盟に、「野球用語をすべて日本語にせよ」という驚くべき通達が届く。その結果、ストライクは「よし一本」、アウトは「ひけ」、ファウルが「だめ」と言い換えられる。だが、これらはまだマシなほうで、走軽打(スクイズ)、迎戦組(ホームチーム)、圏外区域(ファウルグラウンド)など奇妙な漢字表記の用語が並んだ。

 国と軍の締めつけが強化され、選手たちにも続々と召集令状が届く中、それでも野球を守ろうとする人たちの見えない努力が続く。著者は関係者が残した貴重な日記、取材で得た証言、膨大な資料などを駆使して、この困難な時代の野球史を丁寧に可視化していく。本書を支えるのは、野球が、「日本精神」や「国防力」などと重ねて語られる時代が二度と来ないことへの切実な願いだ。

新潮社 週刊新潮
2016年9月29日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加