かつて高層階は使用人の居室だった

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かつて高層階は使用人の居室だった

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 ドイツ語の原題は、なんの飾りもない『エレベーターの歴史』。それに比べるとややあからさまな邦題は、エレベーターが建築文化史にもたらした大きな変化を、分かりやすく示してくれる。

 エレベーターの出現(十九世紀半ば)以前、西洋の建物(記念塔などを除く)はせいぜい四、五階が限度だった。それよりも高層だと、人の出入り、食糧・水などの搬出入が、極端に困難になるからだ。主人の住む建物の主要階は二階で、高層階は使用人の居室や物置として利用された。そうした事情は不動産価格(ホテル代金を含む)にも直結し、高額な低層階、安価な高層階の差となった。

 それを逆転させたものこそエレベーターだ。移動が楽になり、高層階の眺望がそのまま不動産価値ともなった。金持ちたちを高層階へと誘い、世界中のビルの高層化、超高層化を陰で支えた。とりわけ二十世紀のアメリカでは、超高層ビル屋上の「ペントハウス」が主要階となり、豊かさの象徴となった。ペントハウスはもともと「アペンディクス(付加・補遺)」に由来する語で、「付け足し家屋」といった意味にすぎぬのに。

 もちろんエレベーターだけが、人々の高層志向を促したわけではない。早い話、細い柱で十分な強度を確保する鉄骨建築法という技術革新がなければ、超高層ビル自体を建てられず、エレベーターがなければ超高層ビルも使いものにならない。エレベーターと鉄骨建築法は、互いに補い合うペアの技術かもしれない。

 エレベーターはその性質上、ビルの中に垂直で真っ直ぐな空間(エレベーターシャフト)を求める。階段だと、上下階で異なるところに設置しても一向に構わず、しかも中二階とか屋根裏といった所属不明の空間まで、どんどん生み出してゆく。この生命的増殖というイメージに対し、エレベーターは直線的で、かつ二階、三階、四階……と整数階以外の空間を排除する。これは、やはり直線的で見通しのよい大通り(ブールヴァール)を中心に据えた、オスマンのパリ改造のような都市計画と、時代精神を同じくするらしい。現に都市改造からは「広場恐怖症」、エレベーターからは「閉所恐怖症」という神経症が、同時期に生まれているという。

 エレベーターと王室との関係も面白い。王室システムは、身分や序列を距離と高低差によって、だれの目にも鮮やかに示すことに慣れてきた。外国の賓客を迎える儀礼に、段差や階段が多用されたのはそのためだ。しかるにエレベーターは賓客や王族の移動を、他人の視線から一時さえぎってしまう。エレベーターの出現と多くの王室の退場とが、相前後して起こった意味は案外大きいという。

 その他、まことに盛りだくさんの内容で、一読、最後まで巻を措くあたわず。

2016年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです
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