『漂流』 角幡唯介著

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漂流

『漂流』

著者
角幡 唯介 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103502319
発売日
2016/08/26
価格
2,052円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『漂流』 角幡唯介著

[レビュアー] 稲泉連(ノンフィクションライター)

 本書の主人公は、沖縄県伊良部島の佐良浜(さらはま)という場所に生まれた一人の漁師である。男は一九九四年に三十七日間の漂流から奇跡的に生還し、八年後に洋上でまた行方不明になった。なぜ彼は再び海に出たのか。著者はその謎を追って沖縄、フィリピン、さらにグアムではマグロ漁船に乗ってまで遠洋漁業の世界を追体験し、男の見ていた風景に迫ろうとする。

 濃密な島の空気を常に嗅いでいる気がした。男の経験した壮絶な漂流の日々と人生、島の漁師たちの語る海への愛憎――。取材の旅は次第にそれらの背後に広がる「海の民」の精神性に接近し始める。補陀落僧(ふだらくそう)と島の神・ウラセリクタメナウ、戦後の密貿易やダイナマイト密漁、沈没船といった魅惑的なキーワードとともに語られる浜の郷土史と、その風土に育まれ、何かに誘(いざな)われるように海へ向かった男の後ろ姿が浮かび上がってくるのだ。

 著者の角幡氏はこれまで、探検ノンフィクションの名著を世に送り出してきた。チベット奥地に残る地図上の空白部の踏査、北極圏の幻の航路を辿(たど)る旅などを私も夢中になって読んだ。過去の作品で繰り返し描かれていたのは、極地で「死」に近づくことが、「生」の実感につながるというテーマだった。暴力的な渓谷や極寒の荒野に向かうのは、漂白された社会に生きる自身が自然の一部として確かに生きている、という感覚を持ち帰るためでもあるのだ、と。

 故に「死」と隣り合わせの「生」を自明のものとして受容する漁師たちの世界に、著者は羨望の眼差(まなざ)しを向け続ける。彼らの死生観に触れながら、「なぜ探検をするのか」という問いに対する思索を、自ら深めていかざるを得なくなる過程に読み応えがあった。その意味で奇妙な遭難事件を題材にした本書は著者の新境地であると同時に、「探検家・ノンフィクション作家」という肩書を持つ一人の書き手が、出会うべくして出会ったテーマなのだと感じた。

 ◇かくはた・ゆうすけ=1976年、北海道生まれ。著書に『空白の五マイル』『雪男は向こうからやって来た』など。

 新潮社 1900円

読売新聞
2016年10月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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