演奏者の個性が火花を散らす 天才たちの濃密な音楽小説
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
才能と情熱の小説である。
恩田陸『蜜蜂と遠雷』は、国際ピアノコンクールを主舞台として描かれる音楽小説であり、演奏行為を通じて、さまざまなことが綴られていく。ある表現を用いるときにはどのような気持ちが託されるか、技術を錬磨していく中では必然的に自身と対話しなければならなくなるが、限界まで来てしまったときにはどんな声が聞こえてくるのか、などなど。
一次、二次と予選が進む中で、読者の心に強い印象を残す演奏の場面が息つく暇もないほどの密度で描かれる。これは、プロットではなく場面のつながりで物語を進めていくタイプの小説なのだ。稲妻のような光が乱れ飛んで先述したようなテーマが浮かびあがり、登場人物たちの揺れ動く内面を照らし出す。
第六回を迎えた芳ヶ江(よしえ)国際ピアノコンクールは、若手の登竜門として注目される場である。パリで行われたそのオーディションで、審査が紛糾するという事態が起きた。問題となったのは、風間塵(じん)という十六歳の少年の演奏だ。コンクール参加歴はなく、まったく無名の人物だったが、履歴書に意外な記述があった。その年の二月に世を去った天才音楽家ユウジ・フォン=ホフマンに五歳の時から師事していたと書かれていたのである。弟子を取らないことで有名だったホフマンが、なぜ。疑念に包まれた審査員たちは、塵の演奏を聴いてさらなる驚愕に包まれる。
故ホフマンから音楽界への「ギフト」として紹介された塵は、演奏法だけではなく、自然児のような存在が型破りすぎた。彼とコンクールで対峙するのは、ジュリアード音楽院の貴公子としてすでにスター性の萌芽を見せ始めているマサル・C・レヴィ・アナトール、かつて天才少女として持て囃されたが、母の死と共にいったんは表舞台から姿を消していた栄伝亜夜(えいでんあや)、クラシックが貴族的な趣味ととらえられることに反発し、生活者の立場にそれを取り戻そうとひそかに考えている高島明石(あかし)、といった面々だ。立場、考え方の違いが各自の演奏にも反映される。人それぞれに貴重な個性があるということが、具体的に示される小説でもある。
コンクールを舞台としているが、物語の関心は単純な勝ち負けだけにはない。高みを目指して鎬(しのぎ)を削る間に、演奏者たちもまた成長していくのだ。始めに見えていたものと、違う景色が見えるようになっていく。その場所からの眺めを描くことこそが、作者の目的だろう。どこまでも音楽が響いていく広い空を。