言い寄る男たちを次々に…荷風が描いた“新しい女性”

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「つゆのあとさき」

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 東京は大正十二年(一九二三)の関東大震災で大きな打撃を受けたが、復興は思った以上に早く、昭和五年(一九三〇)には帝都復興祭が行なわれた。

 新しい東京の中心になったのが銀座。デパートが建ち並び、車が走るモダン都市へと変貌した。夜の銀座の遊び場所になった新風俗がカフェ。そこで働く女給は、それまでの芸者にかわって時代を象徴する女性になった。

 これまで『新橋夜話(しんきょうやわ)』や『腕くらべ』で芸者を描いてきた荷風は、新しく登場した女給に興味を覚え、昭和のはじめ、連日のように銀座のカフェに通い、彼女たちの生態を観察し、本作を書いた。

 昭和六年に『中央公論』に発表。大家(たいか)が女給を描いたと評判になった。後輩の谷崎潤一郎は隠棲したと思われていた荷風の健筆に驚き、激賞した。

 主人公の君江は二十歳になる。埼玉県の菓子屋の娘。東京に出て、はじめは保険会社の事務員になったが、その後、自然に男たちに身を任せるようになり、いまは銀座の女給になっている。

 流行作家をパトロンにしているが、言い寄る男たちを次々に受け入れ、男から男へと蝶のように軽やかに生きている。

 淫蕩な悪女では決してない。金銭欲もないし、打算もない。ただ本能に忠実に男たちと遊ぶ。おおらかに快楽を肯定している。従来の、男たちにもてあそばれる哀れな女ではないし、耐える女でもない。荷風は、君江を突き放して描いているが、明らかにモダン都市東京に出現した新しい女性として肯定している。

 それまでの江戸趣味を持った芸者とはまったく違うモダンガールの出現に、明治生まれの作家は驚いている。ビルが並び、タクシーが走り、夜が遅くなった銀座の町にふさわしい新しい女性である。

 描く世界は乱れがあっても、文章はあくまでも端正静逸。とくに風景描写の精緻さは荷風の真骨頂。君江が住まう市ヶ谷のお堀端あたりの描写のみごとさは都市を愛した作家ならではだろう。

 溝口健二監督の戦前の代表作「浪華悲歌(なにわエレジー)」(一九三六年)の山田五十鈴演じるヒロインには君江の影響が見てとれる。

新潮社 週刊新潮
2016年10月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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