『ハムレット』
- 著者
- ウィリアム・シェイクスピア [著]/William Shakespeare [著]/福田恒存 [訳]
- 出版社
- 新潮社
- ISBN
- 9784102020036
- 発売日
- 1967/09/27
- 価格
- 506円(税込)
『ハムレット』
[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)
曽野綾子さんが御主人の御病気について書いておられる。その中に「私はわざと主人を残酷に扱っているのよ」という主旨の言葉があった。これを読んだ時、「ハハア、ハムレットだな。そう言えば曽野さんは英文科だった」と思い当った。もちろん残酷と言っても曽野さんの場合、「甘やかさない」ぐらいの意味らしい。ところでハムレットが父を殺したのが叔父であることを父の幽霊に告げられ、そのことを叔父と結婚している母親に告げなければならなくなった。その時言った言葉が“I must be cruel only to be kind”(只(ただ)もう為を思ふばかりに酷いこともせねばならぬ―坪内逍遙訳)である。この言い方はハムレットが始めてだったと英語史は教えてくれる。
このようにシェイクスピアには、そして特に『ハムレット』には初出の単語や言い方が多いのである。“To be, or not to be”などと言うのは少し気のきいた中高生でも口にする。嘘か本当かこんな話がイギリス人の間では語られているらしい。イギリスの田舎の無学の老婆がロンドン見物に出た時ハムレットの芝居に連れてゆかれた。見終った時、この老婆はこう言ったと言う。
「シェイクスピアという男は悧巧な男だね。みんなが知っている諺ばっかり集めて芝居を作ったんだね。おかげでこの芝居はよく解ったよ」
それほどハムレットの中の言葉はよく引用されるのである。
有名なものをもう一つあげれば「弱き者よ、汝の名は女なり」というのがある。「弱き者よ」と文章みたいに訳されることが多いが、原文は‘Frailty’と単語一つである。これは現代では通用せず「強き者よ、汝の名は女なり」と言いたくなる。しかしこの単語は単に「体が弱い」とか「気が弱い」ということではなく、「道徳的に裏切り易い」ということで、シェイクスピアの他の作品にも何度も出てくる。注目すべきなのはハムレットのような「感じ方」が近代イギリス人の間にはじめて現われたということであり、対比的にドン・キホーテは中世の終りを示す。シェイクスピアもセルバンテスも同年(一六一六)に死んだ。イギリスとスペインの差か。