梯久美子×司修 不朽の名作『死の棘』の謎を解く衝撃大作

対談・鼎談

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狂うひと : 「死の棘」の妻・島尾ミホ

『狂うひと : 「死の棘」の妻・島尾ミホ』

著者
梯, 久美子, 1961-
出版社
新潮社
ISBN
9784104774029
価格
3,300円(税込)

書籍情報:openBD

『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』刊行記念対談 梯久美子×司修/不朽の名作『死の棘』の謎を解く衝撃大作

島尾敏雄『死の棘』に書かれた愛人は誰か? 本当に狂っていたのは、妻か夫か――。
膨大な未公開資料により、妻・ミホの生涯を辿る決定版評伝を書いた梯久美子氏が、かつて『死の棘』の装幀をした司修氏と語り合った。

20161026+
[左]司修氏(画家・作家)、[右]梯久美子氏(ノンフィクション作家)

作家としての島尾ミホを

梯 この本の装幀を、昭和五十二年に新潮社から刊行された『死の棘』の装幀をなさった司さんにしていただくのが夢だったので、とても嬉しいです。ミホさんご自身も一番お好きだったという若い頃の写真を使っていただいて、本当に美しい本になりました。

司 ものすごく分厚いゲラが届いたので心配だったんですが、読みやすく、とても面白くてあっという間に読み終えてしまいました。島尾敏雄とミホさんのことを知らない人が読んでも、この本ですべてが見えてくると思います。取材はもう十年以上前に始めていたんですね。

梯 初めてミホさんにお会いしてから十一年になります。評伝を書くことを了承していただいて、奄美に通ってインタビューをしていたのですが、途中で取材を中止してほしいと言われてしまったんです。私としては取材はうまくいっていると思っていたので、突然のことにショックを受けました。でも、思い当たる理由がないわけでもなかったんですね。それがのちに、ミホさんの人生の謎を解くカギになっていくんですが……。で、取材を断られた一年後にミホさんは亡くなってしまわれました。その後、改めて評伝を書きたいと思って、長男の島尾伸三さんに相談したところ、協力していただけることになって。そのとき、「きれいごとにはしないでくださいね」と言われました。

司 ご遺族がなかなか言えない言葉ですね。

梯 その一言があったから、この本を書くことができました。

司 もし途中でミホさんに拒否されないで取材を進めていたら、縛られちゃって違う本になったと思います。でも没後に資料がたくさん出てきたり、時間が経ったことですごく濃い、素晴らしい形になった。

梯 そう言っていただけると本当にありがたいです。実は書き終えた今でも葛藤がないと言えば嘘になります。ミホさんが存命だったら書いてほしくなかったであろうことを書いてしまいましたから。没後に山のような未公開資料が出てきてわかったんですが、ミホさんには隠していたことがたくさんあった。私には、作家としてのミホさんをもっと大勢の人に知ってほしい思いがありまして、そのためには彼女が真情を吐露した日記やメモ、発表しなかった原稿などを取り上げることがどうしても必要でした。私がミホさんに興味を持ち、会って話を聞いてみたいと思ったのは、『海辺の生と死』と『祭り裏』という著作を読んだことからです。『死の棘』に書かれた「狂乱する妻」が、実はこんなにすごい作家だったのかと心底驚いたんですね。「作家・島尾ミホ」を書くのだから、私も書き手として覚悟が要る。一切の遠慮はやめようと決めました。

司 こうしてミホさんを作家として書くことによって、逆に新たな島尾敏雄が浮かんできて、今まで誰も書いてない、角度を変えた島尾敏雄論になっています。

梯 私はミホさんの作品のほうにより強く惹かれているんですが、この評伝を書くために島尾敏雄全集を読破し、『死の棘』はぼろぼろになるほど読み込みました。するとやはり、島尾敏雄という人がどれほどすごい作家かということがわかってくる。ただ、この間ある方にこの本の感想を伺ったら、「ずいぶん島尾敏雄に厳しいですね」と言われまして(笑)。それは仕方のないことで、調べるほどに、島尾敏雄という人の「書く人」としての非情さが、もうありありと見えてくるわけです。書かれることによってミホさんがいかに傷ついたかがよくわかって、苦しくなりました。

死から日常への転換

司 二人は戦争末期の奄美の加計呂麻島で、特攻艇「震洋」部隊の隊長と島の国民学校の教員として出会い、島尾の特攻出撃をもって終わるはずの恋が、敗戦によって生き延びて結ばれた。その頃のミホさんのことを吉本隆明さんや奥野健男さんは「少女」として描いてきた。本書で梯さんがその「少女」のイメージを変えていくのは、「きれいごとを書かない」ということの一つの表れですね。

梯 当時のミホさんは二十五歳で、少女という年齢ではありません。『死の棘』以後、敏雄とミホの夫婦愛はある種の神話化が行われるんですが、その過程で「隊長さま(島を守りにきた神)と無垢な少女(聖なる巫女)との出会い」となっていくんですね。この構図に多くの人が心を惹かれ、二人を特別なカップルと見なすようになります。

司 ギリギリで死をまぬかれて結婚したのに島尾さんは浮気をして、やりたい放題の暴君だったけど、ミホさんが愛人の女性の存在を知ることによって立場は逆転し、まさに「カテイノジジョウ」なんていう状況に陥った。その壮絶な日々が『死の棘』で描かれているわけですが、島尾敏雄という男は戦中は特攻ということで死と向き合ってきたのに、予定しなかった生の中での結婚生活が始まってしまった。そこで彼は自分の修正をしなければ生きられなかったんじゃないかと思いました。自分は死なずに生き延びたという罪悪感と、奄美と加計呂麻という島に対する贖罪みたいなものもあって、それを抱えて生きることで「審(さば)き」を受けるという思いがあったのではないか。その自分が審かれる姿を小説化したのが『死の棘』であると。それを僕は十字架で表したいと思って、タイトルの「狂」という字を、獣の「王」の中に十字架を抱えている、という文字にして表現してみました。

梯 「狂」という文字に十字架が隠れていることを、司さんがデザインなさったタイトル文字を見て初めて気づきました。それからこの文字が「けものへん」であることも。ミホさんは、私とのインタビューで、夫の日記を見て自分がおかしくなったときのことを、「そのとき私は、けものになりました」と表現なさったんです。それから司さんがいまおっしゃった「審き」ということですが、島尾さんには、ミホさんが日記を見て狂乱する前から、自分は審かれるべき存在だという思いがあったように思います。

司 場合によっては島人(シマンチュ)全員を犠牲にする特攻隊長であった、島尾さんならではの苦悩ではないでしょうか。自分を自ら審くというわけにいかないから、そこにちょうどミホさんがいた。

梯 ミホさんは島尾さんの願望を無意識に現実化したようなところがあるかもしれません。

司 そこへ「あいつ」が登場して、凄まじい日々が始まる。眞鍋呉夫や、あの安部公房とも通じていたと書かれているのにはびっくりしました。

梯 島尾さんの日記の中にミホさんがそう言ったと書かれているんですが、妄想ともとれる書き方がしてあって、実際のところはわかりません。ただその女性が安部公房が作った文学グループにいたことは確かなので、交流はあったでしょうね。

すべてを文字で残す

梯 島尾夫妻は何でも取っておく人たちで、没後、段ボール千箱分も資料が残っていました。島尾さんは小学校に入った頃から亡くなるまで欠かさず日記をつけていて、それらがほとんど残っていますし、手紙の下書きやノート、メモの切れ端まで捨てずにとってある。もちろん写真などもあるんですが、「紙の上に文字で書かれたもの」に特に執着していたことがわかります。

司 『死の棘』の騒ぎの渦中にあった時代の島尾さんの日記を『「死の棘」日記』として刊行したとき、ミホさんが島尾さんの日記に手を入れていた部分があったと聞いて、ちょっと嫌な感じがしていたんです。でも、こうやって梯さんの本でミホさんのことを深く知ると、非常に正直な人で、彼女がたどってきた人生や心情を考えると、こういうことがあってもいいんじゃないかと思えてきてしまいました。

梯 日記に手を入れたのは、世間体を取り繕う気持ちからではないかと最初は思ったんです。でも、もっともっと深い欲求から来ていることがわかってきた。そこには一人の女性としての深い悲しみと傷があったと思います。日記といえば、『死の棘』の事件のきっかけとなった、島尾さんが「あいつ」と深い関係になっていった時期の日記が新たに発見されたんです。ミホさんによって廃棄されたと思われていたのが、ぼろぼろの状態で保管されていた。それを見た時の衝撃は忘れられません。ネズミに喰われ、雨漏りで濡れ、一部は風化して崩れています。でも文章が読める状態で残っているページもかなりあって……。

司 やっぱり人が直筆で書いたものは、どんなに時間が経ってもその時の何かを思い出せるし、強い力がありますね。章扉の写真を見ると凄まじいほどに。

梯 序章の扉は、ミホさんが精神科の閉鎖病棟に入っていた昭和三十年八月に、島尾さんが書いた誓約書の写真です。「至上命令/敏雄は事の如何を/問わずミホの命令に/一生涯服從す」と書かれていて、血判まで押してあります。こうした誓約書が四種類も出てきました。全部捨てずにとってあるんですね。書いたものを捨てないというのは、島尾さんだけではなく、ミホさんも同じです。ミホさんは普通なら他人に知られたくないようなことも全部文章にしています。殺してやりたいほど愛人が憎いという気持ちも正直に書いていますし、探偵社に調査を頼んだことや、訪ねてきた愛人と取っ組み合いをして、夫に「女のパンツをぬがせろ」と命じたことも、すべて書いている。しかもそれらを死ぬまで保管していました。どこかの時点で捨てることもできたはずですが、ミホさんはそうしなかった。それらを手にとって見たとき、やはり書くしかないと思いました。

司 梯さんは、ミホさんを傷つけるんじゃないか、書き過ぎたんじゃないか、と仰っていましたが、やはりここまで書かないと伝わらないものがあったのだと思います。書かれないまま、隠されたままで終わっていたら、なにかとても大切なもの、伝えられるべき価値のあるものが、どこかでスッと風のように消えて、なかったことになってしまう。そういうことをこの本を読んで感じました。

梯 もし私が死んだあとにミホさんに会えたとしたら(笑)、きっと怒られるだろうと思います。でも、ものを書くというのはそういうことだということを、いちばん知っているのがミホさんだという気もするんです。書くことに魅入られた人である島尾さんと暮らして、ずっと「書かれる女」であり続けたわけですし、何よりもミホさん自身が作家でしたから。二人は〈書く―書かれる〉という闘いを生きた夫婦だと私は思っていまして、そういう人たちのことを書くなら、私にも闘う覚悟が必要でした。

司 島尾さんが『死の棘』に書かなかった話を、ミホさんが書いていたそうですね。

梯 『死の棘』の冒頭の、島尾さんの留守中に仕事机の上にあった日記を読んで狂乱したときのことを、「『死の棘』の妻の場合」と題して書いていたんです。原稿は未完ですが、「死の棘メモ」と題されたノートには晩年まで手を入れていた跡がありました。ミホさんが自分の目から見た『死の棘』を書こうとしたのは何故だったのか。そして、どうしてそれを完成させられなかったのか。その謎を解くことが、この本のひとつの軸になっています。

司 梯さんが書かれたことで、ミホさんのほんとうの姿が感じられました。「狂うひと」の女性としての生き方が、「文学」のネガからセピア調の映像になって映し出されたように。

新潮社 波
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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