舛添氏、ショーンK氏、野々村元県議…。なぜ「自分を盛る人」が増えているのか?

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舛添氏、ショーンK氏、野々村元県議…。なぜ「自分を盛る人」が増えているのか?

[レビュアー] 和田秀樹

いま、テレビやSNS、職場などで、平気でウソをついたり、演技や経歴詐称まで行ったりして、自分を過度に良く見せたがる人、つまり「平気で盛る人」が増えています。記憶に新しいところでは、マスコミを騒がした舛添氏、ショーンK氏、野々村元県議、小保方氏…。そういう人に魅了されたり、簡単に騙される私たちやマスコミ。『自分を「平気で盛る」人の正体』(SB新書)の著者で、現役精神科医の和田秀樹さんに、近年増殖している新たなパーソナリティの諸問題について分析いただいた。

■自分を「平気で盛る」人が増殖している

「自分を過度に良く見せようとする“演技性パーソナリティ”の人が増加傾向にある。そういう人たちが主役となり、普通の人たちが騙されやすい時代がやってくる!」

 そんな危うい近未来像が脳裏に浮かんだことから、私は『世界一騙されやすい日本人』(ブックマン社)という本を2014年12月に出版しました。

 増殖しつつある「自分を過度に良く見せようとする」人たち、すなわち“盛りたがる”人たちと、彼らを安易に信じてしまう人たち─その両者が織りなす混沌とした社会の到来を危惧して警鐘を鳴らしたかったのです。

 あれから2年が経ち、ますます“盛りたがる”人たちが増えてきたと感じています。

 言い換えれば、“盛る”ことが当たり前の社会になってきているということです。

 事実、大変多くの人が利用しているフェイスブックやツイッター、あるいはラインやインスタグラムなどのSNSでは、自分を盛ることが当たり前のように行われています。

 たとえば、初めて行った高級レストランのランチの写真と共にあたかも常連であるかのようなコメントを載せたり、街撮りしたクラシック・コンサートのポスターの写真だけを載せて、まるでそのコンサートに行ってきたフリをしたり、自分の机の上に英字新聞などを置いて写真を撮り、それをブログに貼って”意識高い系”を装ったり……このようなことが日常茶飯に行われています。

 人によっては、

「ちょっとした演出の範囲内だ」
「子ども遊びのようなたわいのない程度」

と言うかもしれません。多少なりとも自分を良く見せたいという心理はたいがいの人が持っていますから、この程度の“盛り”に対して、敏感に反応する必要はないと考える人もいるはずです。

 しかし、本人は“ちょっと盛った”程度と捉えているかもしれませんが、真実とは違いますから、本当のことが明らかになったときに、騙されたと思う人もいるはずです。

「あれ? 高級レストランの常連じゃなかったの?」
「クラシックが好きだったのでは?」
「英字新聞が読めるんじゃなかったの?」と。

 ここ数年は、こうした“盛り”に世間が目くらましを食うような事例がたくさん出てきています。たとえば、STAP細胞問題の小保方晴子氏、替え玉作曲事件の佐村河内守氏、号泣会見で知られる野々村竜太郎元兵庫県議などもその例として挙げることができるでしょう。

 いずれも強烈な印象を残した人たちですが、彼らに対して何人かの精神科医が「演技性パーソナリティ障害に当てはまるのではないか」というコメントを残しました。
 私が知っているところでは、小保方氏に関しては熊木徹夫医師が、佐村河内氏に関しては香山リカ医師が、野々村氏に関しては町沢静夫医師がコメントしています。

■演技性パーソナリティ障害とは何か?

 演技性パーソナリティ障害というのは、パーソナリティ障害という精神障害の一つです。

 パーソナリティ障害は、その名の通りパーソナリティ、つまり認知のパターンや感情性、対人関係機能などから来る様々な問題によって社会や周りへの適応が困難になるとされているものですが、アメリカ精神医学会が作成した精神障害の診断マニュアル(DSM-5)では、「境界性パーソナリティ障害」「反社会性パーソナリティ障害」「自己愛性パーソナリティ障害」「演技性パーソナリティ障害」「強迫性パーソナリティ障害」「回避性パーソナリティ障害」「依存性パーソナリティ障害」……など、10種類に分類されています。

 世間を騒がせた先ほどの三人が該当するのではないかと指摘された演技性パーソナリティ障害は、

「自分が注目の的になっていないと楽しくない」
「他人とのやりとりが不適切なくらい誘惑的であったり挑発的であったりする」
「浅薄ですばやく変化する情動表出」
「過度に印象的だが内容のない話し方をする」
「自己演劇化」
「誇張した態度を取る」

といった特徴が見られるものです。

 ごく簡単に言うと、演技性パーソナリティ障害の人は「自分が主人公でいたい」わけですが、現実的な話をすれば、精神科などの専門家が直接本人に会って診察してみなければ、パーソナリティ障害という精神疾患に当てはまるかどうか正しい診断を下すことはできません。

 しかも専門医でも一度診察したぐらいではなかなか判断がつかないわけですから、メディアというイメージづくりに長けた媒体を通した情報のみをもってして彼らをパーソナリティ障害という精神疾患に罹っていると断定することはできないのです。

 さらに言うと、いくらパーソナリティが偏っていても、それが本人に苦痛をもたらしていたり、社会的、職業的な障害が引き起こされていない限り、パーソナリティ障害と診断してはいけないことになっています。

 とはいえ、パーソナリティ障害という心の病までには至っていないものの、それに近いパーソナリティ傾向を持つ人たちがたくさんいることは間違いないようです。

 たとえば先ほどのDSM-5には境界性パーソナリティ障害の診断基準の一つとして「不適切で激しい怒り、または怒りの制御困難(例、しばしばかんしゃくを起こす・いつも怒っている・取っ組み合いのケンカを繰り返す)」という特徴が挙げられています。私たちの周りを見渡しても、きちんと社会生活を送りながらも怒ってばかりいる人や何かにつけて怒りっぽい人が、も一人や二人は当たり前のように存在しているのが現実です。

 つまり、精神疾患とまでは言えないものの、パーソナリティ障害の特徴に当てはまる要素がその人の性格の中に見受けられるということはごく普通にあり得るわけです。

 それと同じように、先ほど例に挙げた小保方氏、佐村河内氏、野々村氏についても、演技性パーソナリティ障害という心の病気であると断定することはできませんが、メディアから流れる情報から、演技性パーソナリティ障害の特徴に当てはまる要素が彼らの言動の中に見受けられると言うことができるわけです。

■盛ることでうまく生きようとした“ショーンK”

 同じように、ネットやSNSで演技性パーソナリティ障害ではないかと言われたのが、今年、マスコミを大きく騒がしたショーンK氏です。ショーンK氏は、学歴・経歴を詐称することで、確かに、自分を“盛って”いたことは明らかですが、私は、彼は実は演技性タイプではないと考えています。というのは、ショーンK氏の場合は注目を浴びるために盛ったのではなく、盛ることでうまく生きようとしたように見えるからです。

 今の時代は“盛る”ことが当たり前になっています。ということは、自分を盛るほうが時代の流れに沿っていると言うことができます。

 そんな社会の中でうまく生きていくために、自分を盛る生き方を選択する人もいるはずです。要するに、パーソナリティに問題のない人が演技をする場合もあるということです。

「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーだった植木等氏の場合を見てみましょう。

 植木氏は、高度経済成長時代を象徴するコメディアンとして昭和世代の人で知らない人はいないほど人気を博した人ですが、“無責任男”シリーズの映画が大ヒットしたことから彼自身に無責任男のイメージが定着していました。

 ところが、実は彼はお坊さんの子どもで非常に真面目な人だったので、無責任男を演じる自分と本当の自分とのギャップに悩んだと言われています。最終的には父親のアドバイスによって吹っ切れたということですが、ここで私が言いたいのは、先ほど述べたように演技性パーソナリティでなくても演技をすることはあるということです。

 つまり、自分とは違う自分を見せることで社会生活をうまく営める、あるいは自分とは違う自分を社会から求められるとすれば、あえて自分ではない自分を見せる生き方を選択する人がいても不思議ではないということです。

 そして、ショーンK氏も学歴や経歴の“盛り”はありましたが、それは彼にとって“盛る”ことが当たり前の社会に高度に適応するためのチケットのようなものだったと考えられるわけです。

 学歴や経歴の“盛り”がバレてからの彼のオドオドした態度や、泣きながら謝罪をしつつメディアから静かに(多くのメディアを集めて記者会見などを開かず)消えていった姿などを見ると、自分が”盛った”ことに対して罪悪感も違和感も抱いていないように見える小保方氏や佐村河内氏とはまったく違うことは明らかです。つまり、ショーンK氏は、演技性タイプの人に見られる特徴から外れているわけです。

■“盛った”ほうがますます有利な時代の到来

 では、なぜショーンK氏のような普通の人が自分を“盛った”のかというと、やはり今の時代に合わせた生き方を選んだと言うことができると思います。

 もちろん、経歴や学歴を盛る人を「普通の人」と呼ぶには抵抗があると言う人も多いと思いますが、私が言いたいのは、“盛る”ことが当たり前になっている今の時代において彼のような人は私たちの周りにいてもおかしくないように思えます。ある意味、時代の申し子的な存在だということです。言い換えれば、ショーンK氏は今の時代を象徴していると言うこともできるでしょう。

 最近のテレビを見ていて思うのは、「今は偉そうにしないと人気が出ない時代になっているな」ということです。
 たとえば毒舌で人気になっているタレントがいますが、カメラの前では先輩芸人に対しても威張ったり毒舌を吐いたりしてはいるものの、普段は腰が低く、楽屋での挨拶時にも「こんな芸風なものですから申し訳ありません」などと事前に詫びを入れているという話を聞きます。

 昔は、自分をよく見せるために見栄を張る人や、偉そうにしたり毒舌を吐いたりする人は嫌われたものですが、今は虚勢を張ったり、自分を偉そうに見せる人、つまり”盛る”人のほうが人気を集める時代になっています。

 橋下前大阪市長や芸能界を引退した島田紳助氏、あるいは2014年1月に亡くなったやしきたかじん氏みたいなタイプの人が人気になったのは、そんな時代の流れに乗ったからだと言うことができます。

 ショーンK氏は威張ったり偉そうな態度をすることはなかったかもしれませんが、少なくとも経歴や学歴を“盛る”ことで自分を偉く見せようとしたという点では、やはり今の時代の流れに乗って生きていたと言うことができるでしょう。

 もちろん、テレビだけではなく、私たちのまわりにも「盛りたがる」人はたくさんいます。現実にSNSの世界では、自分を「盛る」ことが恒常化しています。これらの人たちに対する免疫を持たなければ、いとも簡単に騙されたり、さらには何らかの被害を受けてしまう危険性もあるのです。そこで、大事なのは相手を見抜く目を持つことと、騙されないように対策を練ることです。SB新書『自分を「平気で盛る」人の正体』では、その点についても詳しく解説しているので、ご興味のある方は参考にしていただけると幸いです。

SBクリエイティブ
2016年11月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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