最年少の起草者はコピペの女王だった

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日本国憲法の真実

『日本国憲法の真実』

著者
高尾 栄司 [著]
出版社
幻冬舎
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784344029743
発売日
2016/08/10
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

最年少の起草者はコピペの女王だった

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 この高尾栄司という著者は、確かビートルズの本を書いた人ではないか。その同一人物が、『日本国憲法の真実』と大上段に振りかざしたタイトルの本を書いたのか? 思わず手にとって確認したら、やっぱりそうだった。

 ビートルズと憲法。意表を突く取り合わせをする著者の頭はどうなっているのか。読み出した関心はそれだった。著者は日米のみならず、オーストリア、オランダと飛び歩いて取材する。そのたびに神々しい「憲法神話」が崩れていく。そうか、ノンフィクションを書くのに必要なのは、まず好奇心と健脚なのだ。

『ビートルズになれなかった男』は、デビュー直前にクビになり、リンゴ・スターに栄光の座を奪われたドラマー、ピート・ベストを探し出す本だった。主人公は「ビートルズ未満」だ。『日本国憲法の真実』は副題にあるように「偽りの起草者ベアテ・シロタ・ゴードン」がヒロインだ。「二十二歳の若さで憲法に女性の人権を書き込んだ戦後民主主義の恩人」は、実際は「小保方晴子」のような存在でしかなかった。いわば「憲法起草者未満」であった、と著者は告発する。

 現行憲法案はマッカーサーの命令一下、GHQ民政局に勤める二十五人のアメリカ人によって、わずか九日間の突貫工事で起草された。当時は絶対極秘とされたその作業も、今ではその具体的実情が明らかにされている。日本に来てテレビや講演で、憲法の「素晴らしさ」を伝道し続けたのは、起草メンバーの中で最年少だったベアテだった。彼女は無国籍のロシア系ユダヤ人で、五歳から日本で育った。アメリカの大学を出て、米国籍を取得し、占領下の日本へと赴任して、GHQ民政局政党課に勤務した。仕事は公職追放者のリスト作りだった。

 ベアテの父レオ・シロタは東京音楽学校でピアノを教え、戦時下でも演奏会を行なった著名なピアニストだった。彼女は日本に留まった両親の安否を気遣っていたが、軽井沢で無事に生存していた。その彼女に大役が舞い込んだのは、昭和二十一年二月のことだった。幣原(しではら)内閣に命じていた憲法改正作業に落第点をつけたマッカーサーは、「三原則」の方針を示し、急遽、日本政府に下賜する憲法草案の作成を部下に命じた。日本語能力を買われた彼女は、上司のピーター・ルースト、ハリー・ワイルズとともに、人権条項の草案づくりに没頭し、彼女の主張が堂々通って、日本に男女平等が持ち込まれた。

 四年前に八十九歳で亡くなったベアテは、平和憲法を彩る大輪の花であった。著者が憲法の成り立ちに取り組むきっかけは、前著で知り合った元共産党員で、日中貿易に生きた老人だった。徳球(戦後の共産党の名物指導者・徳田球一)の初代秘書だったというその老人の、遺言に導かれての取材だった。憲法制定過程については、研究と証言の膨大な集積が既に日米両国に存在する。それらを調査しながら、著者の関心はベアテに絞られていく。彼女の書いたこと、喋ったことは本当なのだろうか。綺麗事に過ぎないのではないか?

 ベアテ=小保方説を著者は唱える。憲法にド素人の彼女が、なんでそんな重要な仕事を短期間に達成できたのか。その秘訣はコピペだった、と。世界中の憲法本を都内各所の図書館などから接収して、その中からコピペをしたと、いちいち具体例を挙げて追及していく。彼女のネタ元は主にワイマール憲法とソビエト憲法だった。現行憲法全体が多かれ少なかれコピペを免れなかったとしても、彼女こそが「コピペの女王」だった。憲法学者の樋口陽一は草案作成作業を「密室ではあったが、その空気は澄んでいた」と表現した(鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』)。その言葉は憲法を不可侵とするために、余りにも美しく修飾され過ぎていたとわかる。

 秘密の起草を命じられたホイットニー少将率いる民政局のライバルは、ウィロビー少将の率いるGⅡ(参謀二部)である。著者はマッカーサー記念資料館に残るGⅡの極秘ファイルにアクセスする。GⅡが調べ上げたベアテ像は、「日本の警察に異常なほど憎しみを抱いてパージ専門家となる」「GHQ全民間職員三八七七名の中の左翼被疑者十一名の内の一人」という要注意人物だった。GHQ内の敵対勢力の報告書だから、割り引いてみる必要があるかもしれないが、ベアテはアメリカではオーエン・ラティモアの下で対日プロパガンダに従事していた。親しかったラティモアは中国共産党シンパの歴史家である。

 ベアテの日本語能力への疑義、自伝本の日本語版と英語版との内容の相違、関係者が亡くなってからの発言の変容など、彼女のイメージは読むほどに一変していく。上司だったルーストの遺児への取材で、「女性の人権」の発案者はルーストの妻ジーンだったとの証言を得る。そのルースト夫妻は熱心な神智学協会の幹部であった。憲法には神秘思想に基く世界同胞主義も紛れ込んでいるという事実は、別の衝撃である。

 昨年の安保法制、今年の「生前退位」と、憲法をめぐる環境は違憲合憲、改憲護憲とかまびすしい。その中で今年は、柄谷行人『憲法の無意識』(岩波新書)、井上達夫『憲法の涙』(毎日新聞出版)という九条を根底から考察した必読書が出現した。「生前退位」翼賛報道の洪水の中にあっては、北大准教授の西村裕一の「「お気持」切り離し議論を」(朝日新聞八月九日)が、快刀乱麻で俗論を痛打した。憲法論議はもっと自由闊達でなければいけない。本書はその一見本である。

新潮社 新潮45
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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