『ヒトラーと物理学者たち』 フィリップ・ボール著

レビュー

8
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ヒトラーと物理学者たち 科学が国家に仕えるとき

『ヒトラーと物理学者たち 科学が国家に仕えるとき』

著者
フィリップ・ボール [著]/池内了 [著]/小畑史哉 [訳]
出版社
岩波書店
ISBN
9784000058872
発売日
2016/09/15
価格
3,996円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『ヒトラーと物理学者たち』 フィリップ・ボール著

[レビュアー] 柴田文隆(読売新聞社編集委員)

戦時下の科学と社会

 20年ほど前、IBMチューリヒ研究所のG・ベドノルツ博士(1987年ノーベル物理学賞)が、会うなり言った。「受賞した途端、『先生、世界はどこへ向かおうとしているのでしょう』なんて皆が聞いてくるんだ。酸化物高温超伝導の研究者のボクにだよ。君もか?」

 私はいっぺんで彼が好きになった。その通りだ、一流の科学者だから立派な見識・道徳観を持っているなんて決まりはない! 肩の力が抜け、インタビューは愉快なものになった。

 世間が科学者を理想化するのは、その才能がまぶしいからだ。同時に、理想像を掲げることで、核兵器、人工知能、再生医学、ゲノム編集、ナノマシンなど人類の運命を左右しかねない研究に携わる専門家集団に対して、強い責任感と倫理観を要求しているのだとも言える。

 科学と社会の関係が最もシビアになるのは戦時下だ。本書は、第2次世界大戦下のドイツ科学界が、反ユダヤ主義、国家主義を掲げたナチス政権にどう対処したのか執拗(しつよう)に検証する。

 伝統的エリートのM・プランク(18年物理学賞)は、戦争を正当化する声明に署名。後に撤回。善良さ以上の倫理基準もなく「権威に抵抗して公的に抗議をすることには不向き」だった。W・ハイゼンベルク(32年同)は体制側から攻撃されると物理の世界に閉じこもり、「研究の世界には美が存在します」と母への手紙に書く。P・デバイ(36年化学賞)は、小事で政権のご機嫌取りをしたように見える一方で、危険を冒し同僚ユダヤ人の亡命も助ける。わかりにくい人物だが「それは彼が最も狡猾(こうかつ)であったからではなく、素朴な人物であり、それほど思慮深い人間でなかったため」とされている。

 彼らは英雄でも悪人でもなかった。「小利口さや日和見主義や臆病の犠牲となり、やがて取り返しがつかないまま自分を見失って」しまったのだ。著者の評価は公平だが、それだけに最終判断の厳しさがある。池内了、小畑史哉訳。

 ◇Philip Ball=サイエンスライター。著書に『音楽の科学』『かたち』『流れ』『枝分かれ』など。

 岩波書店 3700円

読売新聞
2016年10月23日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

  • このエントリーをはてなブックマークに追加