満場一致で横溝正史ミステリ大賞を受賞〈インタビュー〉逸木裕『虹を待つ彼女』

インタビュー

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〈刊行記念インタビュー〉逸木裕『虹を待つ彼女』――第三十六回横溝正史ミステリ大賞受賞作

シューティングゲームと現実のドローンを連動し、何も知らないプレイヤーに渋谷で銃を乱射させる――衝撃的な場面から幕を開ける『虹を待つ彼女』は、人工知能という題材を巧みに活かしたミステリです。
選考委員の満場一致で横溝正史ミステリ大賞を受賞した逸木裕さんに、お話を伺いました。

1

ここらで書かないと
このまま死んじゃうんじゃないかと

――逸木さんは、いつごろから小説を書きたいと考えてらっしゃったんですか?

逸木 最初に思ったのは中学一年生のころ、今から二十二、三年前でした。高校ぐらいまでは実際に書いてもいたんです。ただ、私が大学のころにインターネット環境ができて、比較的容易に他人に自分の書いたものを読んでもらえるようになりましたし、ミステリ読者の仲間同士みたいな交流もできて少し満足したのか、大学を出てからは書けずにいました。仕事もありましたが、趣味で楽器をやっていたもので、そちらに注力していたのです。

――二年前に書き始められたというのは、何かきっかけがあったんですか?

逸木 特にこれというものは。ただ、三十代も半ばにさしかかってきて、ここらで書かないとこのまま死んじゃうんじゃないかと思いまして(笑)。

――読者としてはどんな作家・作品に親しまれてきたのですか?

逸木 中学生のときは綾辻(行人)先生や宮部(みゆき)先生にはまっていました。そこからいわゆる新本格の作品を読んで、さかのぼってクイーンやクリスティーといった古典名作にも手を広げていった感じでした。そのころには『このミステリーがすごい!』のようなランキング本も出ていましたから、上位の作品から読む、ということもしていました。

――深く広く、広義のミステリやエンターテインメント全般を読んでおられたんですね。デビュー作『虹を待つ彼女』を読んで私が感心した点は、三部構成の各部がそれぞれ雰囲気が異なるのに、全体としてはしっかり調和していることです。第一部は主人公の工藤賢がすでにこの世にいない人物の人となりを調査していくので、私立探偵小説のような雰囲気ですが、第二部以降では彼の身に危険が迫りスリルが高まっていく。そして第三部ではやらなければならない目的ができて、工藤が何かに憑かれたかのように突き進み始める。そんな風に、主人公の変化が各部における物語の進行と密接に結びついています。キャラクターの立て方が非常に巧いと感じました。

逸木 ありがとうございます。

キャラクターを見つめ直して
物語を修正していく

2

――どこから逸木さんがこの物語を思いつかれたのか、気になります。

逸木 最初に浮かんだのはやはり冒頭、水科晴がビルの屋上に立つ場面でした。思いついたはいいものの「これはどういうことなんだろう」と、自分でもそのシーンの意味がよくわからず(笑)。それを考えるところから始まりました。最初、晴はもうちょっと世界に敵対するキャラクターだったので、工藤が彼女の攻撃性を受け継いでいく、というような話だったんです。でも、最後まで書いてみて「なんか違うな」と。そこで改めて彼らがどういう人なのかを考え直しました。最初の思いつきを使って書きながら、途中で案を練りつつ、どんどん変わっていったわけです。

――そこで「なんか違うな」と思いながら書き直さず、第一稿をちゃんと完成させたのがすごいですよね。作家志望者が陥りがちな罠なのですが。

逸木 私は二年ほど鈴木輝一郎先生の小説講座に通っていたのですが、「とにかく最後まで書きなさい」というのは強く言われたことの一つでした。

――なるほど。本書は人工知能の開発が核となる物語でもあり、人間に対して自然な受け答えをする人工知能など、その方面のトピックがたくさん出てきます。しかもそれが、詳しくない人でも読めるほどわかりやすい。人工知能に着目したきっかけはなんですか。

逸木 本業がプログラマーなのですが、ここ何年か人工知能がホットトピックだったので、自分なりに知識を貯めていたということがありまして、いつか書いてみたい題材でした。また、法月綸太郎先生の『ノックス・マシン』に「シェイクスピアの新作を書く人工知能」が出てきたのを読み、「こういうことも人工知能ではできるんだ」と感心したのも一因です。

――ソフトハウスの内幕なども、リアリティのある書かれ方ですね。

逸木 自分もそういう会社で働いた時期がありましたから、社内の空気みたいなものはなんとなくわかります。ただ、ここに書いたことは実際の体験談ではなくて、ほとんどは私の想像の産物なんですが。

――「あれ、本当?」とか聞かれても困ると(笑)。

謎が解決する瞬間に見える
人間の可能性

――主人公の工藤は最初、頭が良すぎるため他人に心を開かず、自分の感情さえも完全にコントロールしてしまう、非常に冷徹な人物として紹介されます。このキャラクターはどうやって造形したのでしょうか。

逸木 以前、将棋の人工知能の開発者と棋士が戦う小説を書こうと思ったことがありまして、そこでは思いきり傲慢な「将棋なんて人間のやる仕事じゃないから」みたいに思っているやつを主人公にしようとしていました。そこから持ってきた部分はあると思います。

――その工藤が水科晴調査に乗り出して、どんどん変化していくのが小説の読みどころになっていますね。すでにこの世にいない晴に工藤がのめりこんでいって、彼女を人工知能として再現することに執念を燃やし始める。「物語の始まりと終わりでは何かが変化している」というエンターテインメントの基本を押さえた物語になっていると思います。

逸木 ミステリには、謎が解決する瞬間に人間を描けるという長所があると思っています。本格ミステリの謎解きでは犯人の「ここまでやるか」という異常性に感動する、というのが自分の中にありまして、たとえば島田荘司先生の『斜め屋敷の犯罪』では解決部分を読んだときに犯人の執念に非常に感動しました。そこが単純なクイズと違っていて、解決する瞬間に人間の持つ可能性がぱっと広がって見える点が好きなのです。

――ミステリの技法でいえば『虹を待つ彼女』では、メインプロットの謎解きの他にサブプロットの小さなどんでん返しが複数入れられていますね。それぞれ異なった技巧が用いられている。物語の転換点に当たる個所にいくつもそうしたサプライズが仕掛けてあるので、読者は楽しく先に進んでいくことができます。こうした枝の部分はどうやって入れていったんですか。

逸木 それは後からですね。工藤の変化というメインプロットが先にあり、そこにちょこちょこ追加していきました。

――基本ラインを最初に作って、あとはそこに微調整しながらパーツを嵌めていくような感じで作品を完成させていかれたんですね。

逸木 はい。一応プロットは最初に作ってはいるんですけど、書いているうちにだんだん違うものになっていくので、最後までいってから修正したんです。作品が向かうべきポイントが初稿の段階ではわからなかったので、第二稿以降で正しい形に直していかなければなりませんでした。

――そこで、どうすればおもしろくなるか、正しい路線か、というのを嗅ぎ分けられるというのが、エンターテインメントの作者としての貴重な資質ですよ。

3

キャラクターが持つ価値観を
定める

――ご自分でエンターテインメントを読むときは、どういう部分をおもしろいと感じられますか。

逸木 私は、自分の価値観で生きているキャラクターにすごく惹かれるんです。もちろん斬新なプロットを読んだりするのもおもしろいんですけど、小説はどちらかというと登場人物を楽しんでいるほうが大きいと思います。

――『虹を待つ彼女』の美点として、直接内面が描かれているわけではないのに、 それぞれのキャラクターがどういう人物かがよくわかるということが挙げられます。工藤にしても、彼のモノローグが本心を表しているわけではないので、読者にすべてをさらけ出す瞬間はほとんどない。そうした形でキャラクターを立てて書くために、どのような点に配慮されましたか。

逸木 やはりそのキャラクターの価値観をちゃんと決めることが重要だと考えています。これも鈴木先生に教えていただいたことですが、脇役にいたるまで全員、そのキャラクターのシートを作って、この人はどういう人か、を全部決めて書きました。鈴木先生には「とにかく小説以外の部分を作り込め」ということを口を酸っぱくして言っていただいて、それには非常に影響を受けていると思います。

――すでに次回作の構想は浮かんでいますか。

逸木 漠然とはあるんですが、具体的にはこれからです。人工知能の話もまだいくつかあるんですけど、それがモノになるかどうかのジャッジはできていません。

――ご自分では、書くのは速いほうだと思われますか。

逸木 どうでしょうね。新人賞応募のときは五ヶ月に一本ぐらいのペースで書いていました。編集の方には「割と速いんじゃないか」と言っていただきましたが。

――ああ、速いですよ、それは。そのペースでぜひ年に二本半ぐらい書く作家になってください(笑)。情報系の職業出身では、伊坂幸太郎さんや東野圭吾さんなど、大先輩が上にいらっしゃいますから、彼らに続く存在になられることを期待していますよ。

逸木 あ、ありがとうございます。がんばります(笑)。

逸木裕(いつき・ゆう)
1980年東京都生まれ。学習院大学法学部卒。フリーランスのウェブエンジニア業の傍ら、小説を執筆。本作で第36回横溝正史ミステリ大賞を受賞し、デビュー。

取材・文|杉江松恋  撮影|澁谷高晴

KADOKAWA 本の旅人
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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