“切なすぎる愛”を描いた極上ミステリ

レビュー

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“切なすぎる愛”を描いた極上ミステリ

[レビュアー] 吉田伸子(書評家)

 本書は第三十六回横溝正史ミステリ大賞受賞作である。が、本書をミステリだと限定してしまうのは、勿体なさすぎる。私は個人的に、これは異色恋愛小説だと思っている。その、異色、の部分が上質なミステリなのだ、と。

 物語は、二〇一四年の一二月、渋谷で起こったある“事件”から始まる。一人のゲームプログラマーが、自作ゲーム『リビングデッド・渋谷』に施した加工によって、ドローンに搭載した銃で自らを撃ち抜かせたのだ。ゲームの作者は水科晴。彼女はある種の天才だった。

 その六年後、もう一人の天才が登場する。彼、工藤賢が本書の主人公だ。小二で確率や小数という概念を理解し、夏目漱石を読み通すことができ、五十メートル走を九秒台前半で走ることができた工藤は、その時、自分は他人とは違うことに気づく。用心深い性格だった彼は、以来、仮面をつけることに決める。「愛嬌とユーモアと気遣い、そのバランスを適度なところで取り、嫉妬も反感も買わないように空気を調整する」。それは快適で、けれど退屈な生活だった。

 それは恋人ができても同じだった。恋愛もスポーツも、工藤には「予想」できてしまうのだ。「自分のポテンシャルの見積もりと、どれくらいの労力でどれくらいのリターンが出るかの費用対効果」を、工藤は高い精度で計算できてしまう。スポーツも、勉強も、遊びも、人間関係も。工藤にとっては、恋愛は「ほしくなったときに、ほしくなった分だけ摂取すればいい」サプリメントみたいなものだった。

 大学院で人工知能の研究をしていた工藤は、IT企業の研究者を経て、現在は高校の同級生が経営するシステム会社で働いている。彼が開発した人工知能と会話ができるアプリ「フリクト」は、リアルな疑似恋愛ソフトとして人気を博しており、また、「スーパーパンダ」という囲碁ソフトは、今や生身のプロ棋士を倒すほどのものになっていた。

 そんな彼が、新たに手掛けるのが、故人を人工知能として蘇らせるプロジェクトだった。最終的には夭折した伝説の女優を、という目的のため、手始めにプロトタイプを作ろうということになった時、一人のエンジニアが「水科晴」の名前をあげる。カルト的な人気のあった彼女ならば、唯一の身寄りである母も亡くなっているので、すぐに開発を始められる、と。

 そこから、工藤は水科晴の生前の痕跡を追い始める。彼女のことを知れば知るほど、工藤は晴に自分との共通点を見出していく。けれど、工藤には疑問があった。彼女は何故、あのような形での死を選んだのか。その謎を工藤が理解した時、彼は生まれて初めて恋に落ちてしまう。晴という、六年前に亡くなった一人の少女に。

 晴の自死の謎、晴が“雨”と呼んでいた恋人とは誰なのか、「晴の過去を探るな」と工藤に届く脅迫メール、等々、周到なミステリはそれだけで読ませるのだが、何よりも本書を貫いているのは、工藤と、そして晴の、その才能が故の孤絶感だ。誰にも埋められない、と諦めていた工藤が、唯一分かり合えると思った相手は、既にこの世にないという残酷な事実。

 恋愛小説の肝の一つは、「結ばれないのは何故か」にあると私は思っているのだが、工藤の場合は、“あらかじめ失われた”恋であるところがなんといっても秀逸。出来すぎて鼻持ちならない工藤というキャラクターが、晴を知り、晴に共感し、晴を理解していくその過程で、初めて生身の人としての痛みを知る、というのがいい。晴への想いが募れば募るほど、工藤の哀しみは深くなる。晴と話すことも、晴に触れることも、もうできないのだから。晴と“雨”の愛もまた、強烈に切ない。

 本書は、極上の恋愛小説と、極上のミステリを同時に味わえる傑作である。

KADOKAWA 本の旅人
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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