人形の何が人を惹きつけるのか――〈刊行記念対談〉畠中恵『まことの華姫』×桐竹勘十郎(文楽人形遣い)

対談・鼎談

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まことの華姫

『まことの華姫』

著者
畠中 恵 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041046432
発売日
2016/09/28
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

〈刊行記念対談〉畠中恵『まことの華姫』×桐竹勘十郎(文楽人形遣い)

畠中ワールドの新たなヒロインは真実を語る姫様人形だ。江戸の人々は彼女に会うため、今日も見世物小屋を訪れる――。いったい人形の何が人を惹きつけるのか。文楽の人形遣いに入門してからおよそ半世紀の経歴を持つ桐竹勘十郎さんと語っていただいた。

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人形が動き出す瞬間

――畠中さんの新作は、両国の見世物小屋を仕切る山越の親分の娘・お夏と、「真実を語る」と噂される人形お華(華姫)を操る人形遣いの月草が不可解な事件に挑む連作集ですが、なぜ人形が出てくる物語を書こうと思われたのでしょうか。

畠中 何年か前に、文楽の舞台裏を見学するイベントに行きました。そこで人形を持たせていただいて、意外に重いなと感じたり、人形遣いの方が人形を動かすのを近くで見たりしました。また、私はストーリーを考えながら東京の街を歩くのが好きなのですが、ある日、有楽町に行ったら大きな文楽のポスターが貼ってあったんです。そこに使われていた赤と水色の着物を着た人形のアップの写真が、とても印象に残りました。それらがあわさって、人形が出てくる物語になりました。

――勘十郎さんは、人形遣いというお立場から、この作品をどのように読まれましたか。

勘十郎 お華は、月草が一人で動かしていますから、文楽の三人遣いの人形とは違いますが、よく分かるところもありました。僕らの人形も、人形遣いがやろうとしていることを、そのまま客席に伝えてはくれないんです。一つの公演は、同じ浄瑠璃、同じ三味線、同じ人形でやるのですが、人形が突然動いてくれなくなることがあります。同じようにやっているはずでも動きが違うので、人形の機嫌が悪くなったようで恐いんです。それは人形のお華が「真実を語る」ことに繋がっているな、と思って読んでいました。

畠中 小説を書いていても、月草が引っ込んで、お華が出てきてといった感じにキャラクターが勝手に動いて、物語を紡いでくれたことがあります。人形は、出たがりなのかもしれませんね。

勘十郎 偉そうなことを言うようですが、ここ数年は人形が勝手に動いてくれるようになりました。以前は浄瑠璃が耳に入って、それが手に伝わって人形を動かす感じだったのですが、今は浄瑠璃が耳に入った瞬間に人形が動いています。もう体力も衰えてきていますが、重い人形を持っていても重さを感じず楽しくなっています。

畠中 月草は一人で人形を持っているので、かなり重くて腰が痛いというシーンを書きました。浄瑠璃の人形は、どのくらいの重さがあるのでしょうか。

勘十郎 十キロくらいの人形もありますから、三人で遣っていても物理的な重さは結構感じます。昔の師匠方は、「人形は力で遣うんじゃない」とおっしゃっていましたが、それが理解できるまでには何年もかかりました。だから月草の気持ちはよく分かります。ただ無理な体勢を取る、これを体を殺すというのですが、体を殺せば殺すほど人形は美しく見えるので、舞台が終わるとどっと疲れが出ることがあります。

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畠中 小説を書いていても、のっている時は疲れを感じないのですが、終わると背中が張って、それから胃にきます。

勘十郎 分かります。

畠中 小説だと、重さはお構いなしに「よし、持たせてしまえ」と強引に持たせるのですが、実際は簡単ではありませんよね。

勘十郎 僕らの人形は、首と右手を遣う主遣い、左手を遣う左遣い、足を遣う足遣いで動かしますから、一人では難しいです。一人で遣うのは、ツメ人形と呼ばれるその他大勢で、それは首も動かないし、軽くなっています。

畠中 三人遣いの人形でも、大きい小さいはあるのでしょうか。以前、ガラスケースに入った大きなお姫さまの人形を見て、その印象があったので、お華を大きくしたんです。

勘十郎 一番大きいのは傾城です。首も胴体も大きくなっていて、女形では一番大きい。ほかの首は、綿が入った防災頭巾のような布にくるんで保管するのですが、傾城の首だけは桐の箱に入れて別にしています。その傾城が打掛を着ると、男役より重くなります。

畠中 男役の方が重いのですか。

勘十郎 一概にそうとは言えません。人形の重さは衣装の重さなので、豪華になればなるほど重くなります。町人の男は着流しが多いので、それほど重くないんです。

人形だから言えること

――月草は、両国の見世物小屋で観客にお華との話芸を見せていますが、なぜ舞台を両国にされたのでしょうか。

畠中 江戸時代の芝居は、夜明けから日暮れまでと決まっていたのですが、両国だけは、夏場は提灯を上げて夜も営業していたようです。そこに興味があって、両国を舞台にしました。当時は、簡易な小屋で上演する宮地芝居のような人形芝居もあったようで、両国の見世物小屋を拠点にしている月草には、そんな人形芝居のイメージも重ねています。

勘十郎 人形芝居は、通し狂言だと上演しない段があっても、半日くらいかかります。江戸時代は、一番太鼓が明け方に鳴って、それと同時に開演して、日が暮れるまでに終わっていました。照明代が高かったのと、火事が怖いので、明るいうちに終わらせていたんです。

畠中 それは歌舞伎と同じですね。ただなぜか両国だけは、花火とあわせて夜も営業していました。今考えると、よく許可が出たなと思います。

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――両国の見世物小屋と、本場大坂の浄瑠璃の小屋はかなり違ったのでしょうか。

勘十郎 大坂にもいくつか座があって、最後に文楽座が残りました。江戸にも何座かありましたが、火事で焼けてしまったんです。それで人形浄瑠璃をやる場所がなくなり、最後に大坂に戻ったようです。この作品にも火事のエピソードが出てきますが、人形浄瑠璃の小屋には燃える物しかありませんから火には注意していました。だから「千秋楽」も、漢字に火が入らない「千穐楽」を使っているほどです。僕の生まれる前ですが、先の大戦の空襲で、昔の貴重な首がほとんど焼けてしまいました。

畠中 昔の首は、古い資料などを参考に再現できるのでしょうか。

勘十郎 寸法などは残っているので、参考にして作っているようです。首は檜でできていますから、修理をしながら長く使えます。

畠中 人形が、三人遣いの大きさになったのは、観客から見やすくするためですか。

勘十郎 一七三四年に大坂道頓堀の竹本座で、三人遣いが上演されたという記録が残っています。それまでは一人遣いでしたので、人形はもっと小さく、一人で何体も動かしたり、からくり仕掛けの手妻(手品)人形もあったりしたようです。その頃は、語りと三味線が中心で、人形の役割はあまり大きくなかった。近松門左衛門は浄瑠璃の名曲を数多く残していますが、三人遣いが始まるのは近松の死後なんです。だから近松の作品は語り先行です。近松が三人遣いの時代に生きていたら、また違った物語を作ったかもしれません。僕も何体か一人遣いの人形を作りましたが、動かない。近松の『曾根崎心中』の初演でおはつの人形を遣った辰松八郎兵衛は、名人と呼ばれていたので、一人遣いの人形をどれほど動かしたのか興味があります。

畠中 首も作られるのですか。

勘十郎 本来は人形師の方が作るのですが、僕は好きなので作っています。

畠中 月草みたいですね!

勘十郎 一八〇〇年に大坂の絵師・松好斎半兵衛が、歌舞伎役者が化粧をしているところや人形遣いの稽古など、道頓堀芝居町の裏も表も記録した『戯場楽屋図会』を刊行しています。その中には、三人遣いの人形の首の仕組みも描かれているのですが、一人遣いの人形は設計図が残っていないんです。実は、文楽をやる場所がなくなったら、一人遣いの人形を持って、腹話術師のいっこく堂さんのように全国を回ろうかと考えて、腹話術の真似をしたこともあります(笑)。

畠中 文楽の人形で話芸をするというアイディアは、まさにいっこく堂さんからだったんです(笑)。江戸時代に腹話術ができる人がいたら、ウケるだろうなと考えました。

勘十郎 僕も考えたことがありますから、分かる分かると思って読んでいました。人形にしゃべらせると、好きなことが言えるんです。月草は、おとなしい、たよりない青年ですが、お華は口が悪い。僕も似たところがあって、人形が間にいるから舞台に立てるんです。

畠中 そうなんですか。舞台に立たれる方は、人前に出ても平気なのだと思っていました。

勘十郎 そのような性格の人もいるかもしれませんが、僕は違います。紋付き袴で顔を出す主遣いに慣れるまで、何年もかかりましたから。お華は厳しい言葉を投げ掛けることもありますが、人間が言うと角が立つことや、なかなか口にできない政治的なことも、人形が話しているという体裁を取ると自由に言えるというのは人形芝居の伝統です。これは古今東西変わらず、江戸時代の人形浄瑠璃にも風刺や政権批判の演目がありました。

「米を横に食え!」

――後半になると、西国で起こった事件が物語の重要な鍵になっていきますが、当時の大坂はどんな様子だったのでしょう。

畠中 江戸は、参勤交代などで地方から出てきて土地に慣れていない人が多かったので、切絵図が刊行されています。大坂は地元の人が多かったためか、地図があまり残っていなくて、もっと知りたいという思いがありました。

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勘十郎 大坂は武士が圧倒的に少なかった。西町、東町奉行と大坂城代、各藩の蔵屋敷に詰めていた武士くらいでしょう。浄瑠璃でも、よく二本差しが恐いのかという台詞が出てきます。大坂の豪商は、武家にお金を貸していましたから、武士も頭が上がらなかったんです。

畠中 江戸は歌舞伎が盛んでしたので、浄瑠璃がどんな小屋で、どんな演目が上演されたのかは掴みきれませんでした。それでお華の活躍の場を、両国にしたというのもあります。

勘十郎 確かに、江戸でどんな興行をしたかは分からないですね。道頓堀で新作がかかると、江戸からも見に来て、筋書きを書いて持って帰って新作として上演していたようです。

畠中 著作権意識はなかったんでしょうね。

勘十郎 時代ものの人形浄瑠璃は、一月も経たないうちに江戸で歌舞伎になっています。

畠中 人形の下駄が、なぜ高いのか気になっているのですが。

勘十郎 高い下駄は三〇センチくらいあります。足隠しの手摺が二尺八寸ですから約八五センチ、そこまで人形を持ち上げて足を揃えます。人形は大きさが違うので下駄で調整するんです。若い人形遣いは背が高く、持ち上げるのが楽なので下駄も低くなっています。今は一八〇センチくらいの人形遣いもいますから、僕とは二〇センチほど違います。

畠中 高い下駄くらいの差ですね。

勘十郎 ただ背が高いと、足遣いの時は大変なんです。姿勢を低くするために足を広げるのですが、その足に誰かが引っかかって二次被害が起きる(笑)。「足を切ってこい!」「米を横に食え!」など無理難題を言われ、怒られていました。

畠中 「米を横に食え!」は、どこかで使いたいです(笑)。小説を書いていると、ちょっとした言葉が臨場感を生むことがあるんです。

勘十郎 それはありますね。この作品でも、西の一座が来て、上方の言葉を使っているのを読むと親しみが出ます。

畠中 西から人形浄瑠璃の一座が江戸へ来る話を書く時に調べたら、全国各地に人形が残っていて驚きました。

勘十郎 地方公演に行った先で人形浄瑠璃の一座が解散することがあったようです。そして、地元の人たちが一座の残した人形や三味線を受け継ぎ、現代まで伝わったところも多くあります。

畠中 そんな理由があったんですね。

勘十郎 地方には、三人遣いができなくなって、自然に一人遣いになった人形もあります。地方に人形遣いを教えに行くことがあるのですが、人形が傷んでいることも多い。先方は直してくれることを期待しているようなので、修理しています(笑)。

畠中 お華もかなり傷んでいるので、大坂の人形遣いがお華を修理するエピソードを書いてみたくなりました。

勘十郎 ぜひ続篇も期待しています。

畠中恵(はたけなか・めぐみ)
1959年高知県生まれ。名古屋造形芸術短期大学卒。2001年、『しゃばけ』で第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し、小説家デビュー。16年、「しゃばけ」シリーズで吉川英治文庫賞受賞。『まんまこと』『つくもがみ貸します』など著書多数。

桐竹勘十郎(きりたけ・かんじゅうろう)
1953年大阪府生まれ。67年に文楽協会人形部研究生となり(三世吉田簑助に入門)、吉田簑太郎を名乗る。2003年、亡父の名跡を継いで三世桐竹勘十郎を襲名披露。08年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章。10年、日本芸術院賞を、16年、毎日芸術賞を受賞。

取材・文|末國善己  撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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