『ピアニストは語る』 ヴァレリー・アファナシエフ著

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ピアニストは語る

『ピアニストは語る』

著者
ヴァレリー・アファナシエフ [著]
出版社
講談社
ジャンル
芸術・生活/音楽・舞踊
ISBN
9784062883894
発売日
2016/09/15
価格
864円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『ピアニストは語る』 ヴァレリー・アファナシエフ著

[レビュアー] 牧原出(政治学者・東京大教授)

全編、自由めぐる考察

 旧ソ連から亡命したピアニスト。確かなテクニックもさることながら、小説や詩を書き、哲学書を読み、ワインと美食をこよなく愛する教養人である。だいぶ前になるが評者は、そのシューマンのクライスレリアーナを聴きに行った。だが、単なるピアノ演奏会ではなかった。自作の演劇の劇中音楽として演奏を挟み込み、自身も俳優となり、傍らでその姿をかたどった人形が踊るのだから。

 異能の人物に、日本の出版社が異例のインタビューを敢行した。東京、芭蕉にちなむ蕉雨園(しょううえん)。日本の批評家による英語での対談である。リラックスした雰囲気で会話が進み、深い苦悩と思いきや、どこか飄々(ひょうひょう)とした写真が並び、つい引きこまれる。

 指を曲げず手を広げて弾く奏法は伝説のピアニスト、ホロヴィッツに似ている。それもそのはず師匠筋でいえば同門なのだ。教師は「奏法の不自由さ」を正してくれたという。この自由をめぐる考察が全編を貫いている。抑圧的なソ連の政治体制から亡命へと踏み出す直前、そうとは知らずKGBが近づいてきた。ぎりぎりの局面をかわしてたどりついた西側。そこではコマーシャリズムという「見えない巨大な検閲制度」がそびえ立つ。権力や利潤が生み出す特権を憎むこの演奏家は、東であれ西であれ、体制に迎合する音楽家には、きわめて手厳しい。

 エッセイではともすればパセティックな情感が漂うピアニストだが、対談では強靱(きょうじん)な意志を見せる。体制を生き延びるとはそういうことなのだ。以前は遅めのテンポ、長い休符と分厚い和音、深い音色が特徴だったが、近年和声から楽曲の要素を構成し直す演奏に取り組んでいる。静かなフレーズや強烈な和音が静寂を破り、また静寂へと戻る。空間が作曲家の音で満たされるとき、弾き手も聞き手も作曲家そのものとなるという。ベートーヴェンの演奏会ではあなたも私もベートーヴェン……この21世紀に古典音楽が立ち現れる瞬間である。青澤隆明ほか訳。

 ◇Vale´ry Afanassiev=1947年モスクワ生まれ。74年ベルギーに亡命。小説に『妙なるテンポ』など。

 講談社現代新書 800円

読売新聞
2016年10月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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