佐藤優は『羊と鋼の森』を読んで才能と努力の関係を再確認した
[レビュアー] 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
本書は、2016年の本屋大賞に選ばれた。まさにその価値がある優れた作品だ。主人公の外村は、調律師だ。なぜ、この職業を選んだかというと、高校生のとき、偶然、古いピアノの調律の場に立ち会ったからだ。
〈「ここのピアノは古くてね」
その人が話しはじめたのは、たぶんもう作業が終わりに近づいたからだろう。
「とてもやさしい音がするんです」
はい、としか言えなかった。やさしい音というのがどういう音なのか、僕にはよくわからなかった。
「いいピアノです」
はい、とまた僕はうなずいた。
「昔は山も野原もよかったから」
「はい?」
その人はやわらかそうな布で黒いピアノを拭きながら続けた。
「昔の羊は山や野原でいい草を食べていたんでしょうね」
僕は山間の実家近くの牧場にのんびりと羊が飼われている様子を思い出した。
「いい草を食べて育ったいい羊のいい毛を贅沢に使ってフェルトをつくっていたんですね。今じゃこんなにいいハンマーはつくれません」
何の話だかわからなかった。
「ハンマーってピアノと関係があるんですか」
僕が聞くと、その人は僕を見た。少し笑っているような顔でうなずいて、
「ピアノの中にハンマーがあるんです」
全然想像できなかった。
「ちょっと見てみますか」
言われてピアノに近づいてみる。
「こうして鍵盤を叩くと」
トーン、と音が鳴った。ピアノの中でひとつの部品が上がり、一本の線に触れたのがわかる。〉
この瞬間に外村の運命が変わった。外村は、このピアノを調律した板鳥に惹かれ、弟子入りを申し出る。板鳥は、専門学校を紹介した。学校卒業後、外村は板鳥と同じ会社に勤務する。そこで壁にぶつかる。調律師などの職人の世界では、努力によってある域にまでは到達できるが、その先は才能になる。外村は、自分には先輩の板鳥や柳のような才能がないことを悟る。
もっともピアニストは、調律師よりもはるかに、才能の要因が大きい世界だ。外村は、柳と共に佐倉由仁・和音というふたごの姉妹のピアノの調律を担当する。二人は熱心にピアノの練習を続けていたが、あるとき由仁がピアノを弾けなくなってしまう。
〈和音が何かを我慢してピアノを弾くのではなく、努力をしているとも思わずに努力をしていることに意味があると思った。努力していると思ってする努力は、元を取ろうとするから小さく収まってしまう。自分の頭で考えられる範囲内で回収しようとするから、努力は努力のままなのだ。それを努力と思わずにできるから、想像を超えて可能性が広がっていくんだと思う。〉
ロシア語通訳や作家、学者、政治家などを見ていても、才能のある人は、努力をしていると思わずに、自然に、あるいは楽しみながら、継続的に努力をしている。
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『羊と鋼の森』
宮下奈都は2004年、「静かな雨」で文學界新人賞佳作に入選、デビュー。『誰かが足りない』では本屋大賞ノミネート、本作で本屋大賞を受賞。文藝春秋刊、1620円