超大作『テラ・ノストラ』を読んで、山形浩生は現代の小説のもつ役割について考えた

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テラ・ノストラ

『テラ・ノストラ』

著者
Fuentes, Carlos, 1928-2012本田, 誠二, 1951-
出版社
水声社
ISBN
9784801001299
価格
6,600円(税込)

書籍情報:openBD

超大作『テラ・ノストラ』を読んで、山形浩生は現代の小説のもつ役割について考えた

[レビュアー] 山形浩生(評論家・翻訳家・開発援助コンサルタント)

山形浩生

 カルロス・フエンテスの超大作『テラ・ノストラ』邦訳がついに刊行された。実はこれ、数年前にあきらめて、英訳版でひいこら言いながら読み終えた小説だ。それが出たこと自体がまず驚きではある。なんせ、邦訳で千ページを超える代物だもの。だから今回手に取るべきかどうか迷った。
 というのも、英語で読んだときのぼくの印象はかなり否定的なものだったからだ。そして今回、日本語で(多少流し読みとはいえ)読み終えても、その印象はあまり変わらない。でもやっぱりどこかで触れておくべき作品なのはまちがいない。それはある意味で、現代におけるこういう小説とかの役割について示唆するものでもあるからだ。
 二〇世紀末のパリは、セーヌ川が沸騰し父親なしの子供がそこら中で生まれる異常事態。その中で主人公らしき人物が橋の上で出会う、唇にヘビの入れ墨をした女性が、この事態につながる数百年前の出来事を語り出す。それは、完璧な秩序の世界エル・エスコリアル修道院を作り出そうとするフェリペ二世と、その周辺にうごめく秩序を食い破る異形の存在たちの物語。それがスペインから新大陸にわたり、様々な文学や歴史上の人物を吸収し、秩序構築の試みを解体してしまう。話が二〇世紀末のパリに戻る中で、それまでの歴史をすべて見てきた男と女が合体してアンドロギュヌスと化し、そして新しい世紀を生み出す……秩序への指向がもたらす停滞と不毛と死、それに対する秩序破壊者たちの豊穣性と可能性、そしてその敗北と再生──それが技巧をこらした様々な形式で絡まり合いながら進むのは、圧巻ではある。
 ただ……その一方で、そのメッセージはきわめて単純だ。直線的な時間/進歩史観/固定的秩序と変化の拒否/二項対立/アメリカ資本主義やソ連共産主義はダメで、南米原住民とかの神話的な円環的時間/変化と多様性/三の豊穣といったものがいいんだ、というもの。それをフエンテスは、様々に描いて見せる。
 そのチンケで安っぽいイデオロギーと歴史認識に、英訳版で読んだときにはうんざりさせられた。二〇世紀の半ばであれば、この本のイデオロギーにもっと説得力があっただろう。原著発表の1975年頃であれば、この小説も今よりはるかに力を持ち得ただろう。でも現在、こうした主張を真に受けられる人はよほどおめでたい存在だ。
 でも、それだけなのか? 背景となるイデオロギーがどうあれ、本書が圧倒的なパワーを持ってかかれた超弩級の力作であることは否定できないし、日本語で読み直したときにそのイデオロギーとは離れた小説としての力が、以前より強く感じられたのも確かだ。本書はアナクロではある。そのストーリーは、二〇世紀の終わりの瞬間(まあ厳密にはちがうが)で終わる。実は本書も、二〇世紀的な小説として、二〇世紀とともにその役割を終えた部分はある。でもそれがいまなお残している価値は何か? それを、この邦訳を機に改めて考え直すのも、小説読みたるぼくたち読者の仕事だろうと思うのだ。

 ***

『テラ・ノストラ』
水声社、2016年刊、本体6000円+税。本田誠二訳。《我らの大地》を物語る、ラテンアメリカ文学の金字塔。メキシコを代表する作家が残した畢生の大作、待望の完訳!

太田出版 ケトル
VOL.31 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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